官位・通称:左衛門佐 吉田重康の次男。1563年、長宗我部元親が石谷家から妻を迎える際に使者として美濃に行っている。八流の戦いでは漁師を集め戦闘中に海から鬨の声を上げさせ安芸国虎軍を驚かし勝利に貢献した。 1582年8月28日、中富川の戦いで弟・俊政が戦死したことを知ると敵陣に突っ込み十河存保の家臣・山田陸大夫に討たれる。