吉田貞重(生没年不詳)

官位・通称:次郎右衛門
 吉田孝頼の嫡男。長宗我部国親元親盛親の三代に仕える。1569年、八流の戦いで左目を失明し『せんの次郎右衛門』とあだ名されるようになった。
 盛親の改易で浦戸一揆が起きた際、重臣達は味方をするか否かで議論になったが貞重の意見で鎮圧することに決まる。その後、保科家に仕えた。

高知市浦戸に建つ六体地蔵。浦戸一揆の戦死者供養のため建てられた
土佐吉田城
UPDATE 2015年1月9日
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