官位・通称:次郎右衛門 吉田孝頼の嫡男。長宗我部国親・元親・盛親の三代に仕える。1569年、八流の戦いで左目を失明し『せんの次郎右衛門』とあだ名されるようになった。 盛親の改易で浦戸一揆が起きた際、重臣達は味方をするか否かで議論になったが貞重の意見で鎮圧することに決まる。その後、保科家に仕えた。