大西頼包(1548〜1590年)

官位・通称:上野介・七郎兵衛
 大西覚用の弟(甥とも)。長宗我部元親に味方することを決めた覚用は頼包を人質として差し出すが、のちに変節して再び三好長治に味方しようとした。しかし元親が頼包を厚遇したため、進んで元親に協力している。
 1577年、元親は頼包の手引きで阿波田尾城と白地城を手に入れた。西讃岐や東伊予の諸将の交渉にも一役買ったという。その後、阿波重清城攻めや引田の戦いで活躍したが、1584年頃に元親と不和となり井内谷に隠遁した。
 1585年、蜂須賀家政が阿波の国主になると1万石を与えられる約束であったが3千石に減らされたため、讃岐に退去し1590年7月9日に亡くなっている。

UPDATE 2015年5月1日
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