森孝頼(生没年不詳)

官位・通称:近江守
 頼実の子。先祖は尾張から近江、その後阿波を経て土佐に来たという。その際、土佐郡長磯村で悪さをしていた猿を退治し村名を森と変えて領主になったという。阿波水軍を率いた森氏とは同族との説もある(阿波森氏側の系図にはそのような記述はない)。
 その後、森氏は勢力を伸ばし土佐郡潮江も手に入れ土佐の有力国人の一人となるが、1544年に対立する本山清茂によって当主・頼実は城を落とされ討ち死にする(頼実は阿波に逃れたともいう。また落城の時期も諸説有り)。
 孝頼は長宗我部国親を頼って落ち延び、長ずると吉田重俊の娘と娶ったといわれる(これには疑問視する説もある)。長宗我部氏が本山氏と対立すると国親・元親に従い、やがて森と潮江の領地を回復した。
 その後の孝頼の動向は不明だが、一族の者が元親に従って各地を転戦したようである。

UPDATE 2013年3月4日
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