横田村詮(1552(1554?)〜1603年)

官位・通称:内膳正
 通り名は横田内膳。三好康長の甥。妻は豊臣秀吉の家臣・中村一氏の妹。1572年、阿波岩倉城主・三好康俊の補佐役となる。1578年、阿波重清城攻めに従軍。1582年、一氏に仕える。
 1590年、一氏が駿府城主となると『横田法度』と呼ばれる法度を作成するなど内政に力を発揮した。
 1600年、一氏が亡くなると息子・一忠を補佐。筆頭家老として移封されたばかりの伯耆米子の経営に辣腕を振るう。
 しかしその栄達を妬まれ反対派の讒言を信じた一忠によって、1603年11月14日に城内で暗殺される。村詮を死を知った息子や一族は、米子城の一角に籠もって抗戦。一忠は隣国・出雲の堀尾氏の力も借りてようやく鎮圧している(米子騒動)。

鳥取県米子市寺町46の妙興寺にある村詮の墓
村詮の墓
UPDATE 2012年1月6日
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