桑名古庵(1607(1610?)〜1689年)

官位・通称:瀬兵衛
 五百蔵左馬進の三男。紀伊の生まれ。左馬進が八尾の戦いで討ち死にしたため、古庵を含む遺族は伯父・野中親孝を頼って姫路に移り住む。その後、高松にいた兄・権之丞を頼った。権之丞がキリシタンであったため、1623年に勧められて洗礼を受ける。1627年、親孝のいる堺に行った際、親孝から激しく叱責され宗旨替えを行なう。この時期に医術を習ったと思われる。
 1629年頃、先祖所縁の土佐奈半利に戻り、その後、高知城下に移って医者を開業した。1643年、阿波の井上五左衛門からの訴えでキリシタンの疑いがかかり投獄される。すでに信仰を捨てたと弁明するが許されず1689年12月20日に獄死。
 しかし埋葬は土葬だったと伝わっており、土佐藩は古庵の主張を認めていたと推測される(当時、キリシタンは火葬だった)。

UPDATE 2011年6月30日
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