中山田泰吉(1541〜1613年)

官位・通称:左衛門佐
 香宗我部秀通の長男。妻は一条兼定の養女。1556年に父・秀通が伯父の親秀によって殺されると、母の実家である細川宗桃に引き取られる。しかし秀通殺害を悔いた親秀は泰吉を呼び戻し自身の隠居地を与えた。やがて泰吉は所領の中山田に移り住み、宗家を継いだ親泰に遠慮して中山田に改姓。
 親泰を良く補佐し、親泰没後は遺児・親和の後見を行なう。長宗我部盛親の改易後も土佐に留まり、1613年1月22日に死去。
 寡黙で礼儀正しく知勇並び無しと言われ、人々から敬愛されたという。

高知県香南市野市町の宝鏡寺跡にある泰吉の墓
中山田泰吉の墓
UPDATE 2011年8月2日
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