香宗我部親和(1591〜1660年)
官位・通称:左近大夫
幼名・長寿丸。香宗我部親泰の次男。のちに貞親と名を変える。父と兄が相次いで亡くなったため、1593年に僅か3歳で家督を継いだ。関ヶ原の戦い後、土佐を去り浪人となるが、やがて肥前唐津城主・寺沢広高に仕える。しかし寺沢家を辞し江戸の知足院に移った。
1635年3月、春日局の斡旋で武蔵川越城主・堀田正盛の家臣となる。堀田家の下総佐倉への移封にも従い、1660年7月9日に死亡する。
※詳しくは大坂の陣絵巻の香宗我部貞親をご覧下さい。
千葉県佐倉市新町89の宗円寺に建つ親和の墓
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