香宗我部秀通(1510〜1556年)

官位・通称:孫十郎
 通長の次男。秀義の弟。妻は細川宗桃の娘。1526年、安芸元親との戦いで親秀の嫡子・親秀が亡くなったため、親秀の養子となり家督を継ぐ。しかし長宗我部国親が台頭してくると、親秀は失地回復のため長宗我部氏から養子を迎え国親との同盟を画策した。
 だが秀通は「自分には男子がいるのに国親の威名を恐れて養子を迎えるのは武門の恥」と反対。そのため1556年10月21日に親秀の家臣によって殺されている。

高知県香南市野市町東野にある香宗我部秀通墓松跡之墓標
秀通墓松跡
UPDATE 2011年7月29日
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