片岡茂光(1488〜1560年)

官位・通称:尾張守
 大平氏の配下。直光の子といわれるが、茂光の名が無い系図もある。出自も系図によって異なっており、平氏・宇多源氏・佐々木源氏など様々である。遅くとも応仁の乱の頃には土佐に入国し、徳光城・黒岩城を領する。茂光の代に森氏などを降し勢力を広げた。
 大平氏が没落すると土佐一条氏に従う。高岡郡北部で勢いのあった茂光に目を付けた長宗我部国親が、自身の妹・理春尼を茂光に嫁がせる(すでに山本氏の娘と結婚していたが、断ることができず第二の妻としている)。
 茂光は善政を施し民を慈しみ、城下には茶園堂を設け通行する旅人を慰労したという。

高岡郡越知町片岡にある茶園堂
茶園堂
UPDATE 2011年9月28日
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