忍蔵主とも。五台山吸江庵の禅僧で真西堂と交流があった。明敏さを認められ真西堂と共に長宗我部元親に招かれ、月に6回、岡豊城内で長宗我部信親や若い家臣を相手に儒学の講義を行なう。 家督相続問題で吉良親実が自害させられると、忍性も疎斥されている。