播磨屋宗徳(?〜1648年)
官位・通称:与十郎・九郎左衛門
本姓・高島。播磨飾磨の住人。1580年、長宗我部元親が讃岐を攻めた際に軍用金と兵糧を用立てたことが縁で元親に招かれ、浦戸城に移住し商人となる。
山内一豊が土佐の国主となると高知城下に移り、播磨屋の屋号で呼ばれるようになった。街造りに協力し町年寄となる。1648年9月5日、死亡。
谷時中が息子・一斎の学費のために田畑と山林を買い取った際に、その大量の支払金を川岸に並べて見物客を驚かせたという。
商家・櫃屋の間に流れていた堀川に個人的な橋を架けたのが有名な播磨屋橋の始まりである。
高知市瀬戸東町1丁目にある播磨屋一族の墓地に建つ播磨屋宗徳記念碑
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