金子基宅(1577?〜1679年)

官位・通称:助十郎
 幼名・鍋千代丸。金子元宅の三男。長宗我部元親は四国征伐で首尾が上々だった場合、基宅に東予の一部を与えることを約束していたが、長宗我部軍の敗北により果たされなかった。後年、水口城主・加藤明友(加藤嘉明の孫)に仕える。1679年4月26日死亡。
 ただし明友が水口城に入ったのは1682年なので、仕えたのは明友が石見国吉永の領主だった時代だと思われる。

滋賀県甲賀市水口町本丸にある水口城
水口城
UPDATE 2010年12月24日
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