戸波親清(生没年不詳)
官位・通称:十兵衛・又兵衛・右衛門尉・主水
戸波親武の子。長宗我部親吉・戸波貞之など別名が多数ある。四国統一戦で活躍。長宗我部家の改易時には籠城して徹底抗戦を主張したが受け入れられなかった。
大坂の陣が起こると長宗我部盛親の元に馳せ参じ、八尾の戦いで二番槍の功を立てる。大坂落城の時、盛親に従ったが山城八幡ではぐれてしまう。
1626年、関白・近衛信尋の推挙で藤堂高虎に仕える。子孫は姓の読み方を、土佐の地名である「へわ」を避け「となみ」に変えている。
※大坂の陣絵巻の戸波親清もご覧下さい。
土佐市本村にある戸波城の碑
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