長宗我部元秀(不詳〜1508?年)

官位・通称:信濃守
 名は兼序とも。長宗我部雄親の長男。長宗我部氏は秦の始皇帝の流れを汲む秦氏の末裔を称していたが、真偽の程は不明。鎌倉時代初期に土佐に移った国人で、室町時代に勢力を拡大。元秀も、当時の幕府の権力者だった土佐守護・細川政元の権威を後ろ盾として岡豊城周辺に地盤を築く。しかし1502年に土佐守護代・細川勝益が死去、1507年に政元が殺害されると孤立。本山氏・山田氏など周辺の豪族に岡豊城を攻められ自害した。
 元秀の死には別の説もある。山田氏に嫁いでいた元秀の姉が、岡豊城から落ち延びた元秀を寺に匿った。しかし仏前に供える食べ物が無くなるため怪しまれ、元秀は幡多郡に逃げようとしたが、途中で香宗我部氏に襲われ自害したというものである。
 岡豊城落城についても攻撃に加わった豪族のメンバーや原因に諸説あり、謎が多い。

高知県南国市岡豊町八幡にある岡豊城
岡豊城
UPDATE 2011年1月16日
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