土居宗珊(?〜1573?年)

官位・通称:宗珊
 一条兼定の重臣。出自は定かではない。伊予大森城主・土居清良の姉婿で近江守家忠と名乗っていたという説が一般的。家臣の中では最大クラスの領地を与えられていた。伊予黒瀬城主・西薗寺公広との戦いでは長宗我部元親から援軍を得て西薗寺軍を破っている。
 1573年に兼定の怒りに触れて手討ちにされる。原因は兼定の素行の悪さを讒言したためとも、元親への内通を疑われてともいわれるが、土佐一条家内部の混乱の中で起きた騒動に巻き込まれて亡くなったとの見方もある。

UPDATE 2012年10月5日
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