久武親信(?〜1579年)

官位・通称:内蔵助
 長宗我部元親の重臣。久武親定(昌源)の長男。名前が父と同名の親定だったという説があるが、父子の名前が混同されていると思われる。1571年の高岡郡北部侵攻に従軍し、土佐松尾(佐川)城主・中村信義を娶って松尾城主となった。
 1577年に伊予軍代に命じられ、宇和・喜多郡に侵攻し諸城主を降していく。しかし伊予岡本城攻めで土居清良の罠に嵌り、1579年5月21日に戦死した。
 有馬温泉滞在中に豊臣秀吉と相湯となった際、その器量に感服した親信が元親に明智光秀だけではなく秀吉とも誼を通じるよう進言した逸話はよく知られている。

高知県高岡郡佐川町甲1746の乗台寺に建つ親信の墓
親信の墓
UPDATE 2012年4月22日
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