官位・通称:次郎兵衛尉 波川清宗の弟。清宗謀叛の際、長宗我部元親の馬廻だったため許されるところだったが、一族に殉じるため土佐鎌田城に入り戦死した(土佐鎌田城攻め)。 永禄年間に病となったため湯治で有馬温泉を訪れたが、そこで病死したとの説もある。