東条実光(?〜1585年)

官位・通称:関之兵衛
 阿波桑野城主。東条氏は甲斐武田氏の出身で関之兵衛の父は武田信綱と名乗っていたという。1575年頃に長宗我部元親に降伏し養女を妻としている。1577年、近隣の牛岐城主・新開道善に味方する篠原自遁・矢野国村ら三好勢の攻撃を受けたが、長宗我部元親と通じていた一宮成祐の協力を得て撃退した。その後も道善と争うが元親の援軍を得て勝利している。
 1582年8月28日の中富川の戦いで活躍し阿波木津城主となるが、1585年6月の四国攻めで最初の攻撃目標にされ支えきれなくなったため、豊臣軍にいた叔父・東条紀伊守の説得で開城し土佐に戻った。しかし元親の逆鱗に触れ自害させられた。
 なお紀伊守は1570年に摂津で戦死したとの説がある。

徳島県鳴門市撫養町木津にある木津城跡
木津城跡
UPDATE 2015年8月5日
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