明嶽(1560〜1632年)

 足利義冬の次男・義任の子。足利義栄・義助の甥。1570年、阿波安国寺に入り、その後上洛して修行に励んだ。1585年の四国攻めで安国寺が兵火で焼失したため、その跡に建てられた草庵に戻り修行していたところ、新しく阿波の国主になった蜂須賀家政から光勝院の再興を命じられる。
 1613年に光勝院・慈光寺の住職を兼ねた。1630年、後水尾天皇から紫衣を賜る。1632年6月23日に亡くなった。

徳島県阿波市秋月にある阿波安国寺跡の碑
阿波安国寺跡
UPDATE 2015年5月25日
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