安芸家友(1562?〜1634年)

官位・通称:三郎左衛門
 安芸国虎の次男。通り名は安芸三郎左衛門。一族・安芸左京進の養子になる。安芸落城時、阿波に逃れるがのちに土佐に戻って成山村で長宗我部元親の妹・養甫尼に養育される。姓を成山と変え養甫尼の『七色紙』の開発に協力した。
 山内一豊が土佐の国主になると、安芸姓に戻す。1601年、七色紙を献上し御用紙方役に任ぜられる。一時期、幡多郡代官も兼務。1634年、死去。

UPDATE 2011年5月8日
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