住所:山梨県甲府市岩窪町268
織田信長の家臣・河尻秀隆の首塚とも、秀隆の屋敷跡とも伝わっている。1582年3月の甲州征伐で活躍した秀隆は甲斐と信濃の諏訪地方を与えられた。しかし僅か3ヶ月後に本能寺の変で信長が横死すると、武田家の旧臣らが蜂起。秀隆は一揆勢に殺害され逆さまに埋められたことから「さかさ塚」とも呼ばれる。
コラム:近くに武田信玄墓所があります。
住所:山梨県甲府市岩窪町268
織田信長の家臣・河尻秀隆の首塚とも、秀隆の屋敷跡とも伝わっている。1582年3月の甲州征伐で活躍した秀隆は甲斐と信濃の諏訪地方を与えられた。しかし僅か3ヶ月後に本能寺の変で信長が横死すると、武田家の旧臣らが蜂起。秀隆は一揆勢に殺害され逆さまに埋められたことから「さかさ塚」とも呼ばれる。
コラム:近くに武田信玄墓所があります。
>白鉢巻さん
信玄の墓に行った時に偶然見つけたような記憶が・・・。ぼけっとしている私にしては良く気づいたな、と思います。
甲府、史跡が多くていいところですよね。
信虎と信玄の墓行きましたが、そんな近くに秀隆の墓があるとは知りませんでした。今度甲府行くときは行ってみよう。
>ジョンさん
ご無沙汰しております。
確かに民家の一角にありました。住宅に囲まれた五輪塔や塚はたまに見ますよ。
慣れもあるでしょうが、近所の方が何なのか分からないというのもあるんじゃないでしょうか。
・http://tikugo.exblog.jp/10847699
上記の日記は一例です。この一宮成祐の墓もマンションに挟まれていますが、住民は「何かあるな」程度しか思っていないかと・・・。
河尻塚って、民家の一角にありますよね。というか、河尻塚が存在した所が人が家を建てたような感じです。
あれを見て、人間ってすごいなと思いました。馴れなのでしょうね。