山口県史跡巡り2009(2日目後半:大寧寺・松陰神社・萩藩主の墓・尼子義久の墓)

18.大寧寺・・・長門市深川湯本字門前にある。曹洞宗の寺。大内義隆が陶晴賢の反乱の際、近くの港から九州方面に逃れようとしたが、強風のため叶わず、ここで自害した。ここにはその大内義隆の墓を始め、関東管領・上杉憲実、毛利家の家臣やその妻の墓が約250基ほどある。
 ここは毛利ファンならたまらん場所だと思う。まずは下の案内板を見ていただきたい。

 これを見た時、不謹慎にもテンションが上がってしまった・・・。蜂須賀家の家臣の墓が多数あった徳島県の丈六寺に行った時も同じように上がってしまったことを思い出した。


(益田元祥の墓。なんとかしてほしいな・・・)


 大寧寺は有名な湯本温泉の近くにあるので友達や家族と普通の旅行で行った際に寄るのもいいかと思います。
19.松陰神社・・・萩市椿東松本にある。吉田松陰を祀る神社。境内には松下村塾・吉田松陰幽囚ノ旧宅などがある。

20.東光寺・・・萩市椿東にある。3代・吉就~11代・斉元までの奇数代の藩主と一族の墓がある。また蛤御門の変の責任を取り切腹した三家老の墓碑もある。
 ここも大照院に負けず劣らず立派。

(藩主の墓所。ど~ん)

21.吉田松陰誕生地と松陰の墓・・・萩市椿東字椎原にある。タイトル通りである。東光寺から200メートルほど登るとある。
 ここから見える萩市内の鳥瞰が良い。写真の中央の山が指月山(萩城)である。

 次の史跡に向かう途中、カーナビがまた最短だと理由だけで山道を選びやがった。おかげでまた面倒なことになった。
(山道にあったガードレール。山口県といえばこの黄色いガードレール)

22.大覚寺・・・阿武郡阿武町大字奈古にある。戦国大名としての尼子氏最後の当主・尼子義久の墓がある。1566年に降伏してから1610年に亡くなるまでの50年以上、毛利家の傘下で過ごしている。
 毛利家が関ヶ原の戦いで防長二国に厳封された際、山陰側の阿武郡に移り住んで、そこで亡くなり葬られている。それがせめてもの救いだった・・・のかな。ちなみに大覚寺から北に2キロほど行くと日本海があり、生前、義久はそれを見ながら、遠い出雲に思いを馳せたのであろう。
 また義久没後、旧家臣だった亀井氏が隣国の津和野に移封されている。毛利家が許可を出す可能性は低いと思うが、生前に移封があったなら対面する機会があったのかもしれない。


23.三坂神社・・・山口市徳地岸見字樋ノ口にある。奈良時代に創建されたと言われる古い神社で、武の神として足利尊氏・毛利氏・豊臣秀吉に崇敬された。日中戦争・太平洋戦争中は「武運長久」「弾除け神社」として全国から数万の人が訪れたという。
 現在は・・・格式の高い神社には見えたが、閑散としており観光地として知られているようには思えなかった。

 本日はこれにて終了。1日目と同じホテルに戻って寝た。
感想:やはり萩と言えば幕末で、そっち関係の史跡には結構人がいた。対して戦国時代(というか江戸初期)に関する場所は人がほとんどいない。当然といえば当然だが・・・。
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