南東北史跡巡り2007(4日目:上杉神社・上杉憲政の墓・林泉寺・前田慶次の供養塔)

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 また夢を見た。福島駅から米沢駅に行く途中、車両の右と左のどっちに乗っていけば海が見られるのか、というのを考えていたところで目が覚めた。多分、どっちにいても見られないんじゃあないかなあ・・・。見られたらやばい気がする・・・。

(福島市と米沢市。これじゃあ海はないよね)

 ということで2007年8月15日、福島市で目が覚める。さて在来線で米沢駅に行こうと思って時刻表を見ると「8:31」の次は「12:54」・・・。こりゃあかん、と思い急いで駅に行く。まあ、山形新幹線に乗ればいいんだけど、なんかこの距離で新幹線を使うのは何となく嫌だったので。
 結局、8:31に乗って米沢駅に向かう。しかしなんでこんなに米沢~福島間は本数が少ないんだろう。山形新幹線の影響か?と思っていたら、乗っていてすぐに分かった。何駅か過ぎると民家も無いような秘境のような場所が出てきたのだ・・・。
 やがて赤岩駅というところに到着。ここで人が降りたので「ああ・・・民家は周りにないけど、遠くの集落まで歩いてかよっているのかな。利用している人がいるんだ。失礼なことを思ったな・・・」と思ったら、おもむろに三脚を取り出して撮影の準備をし始めた。鉄さんでした・・・。次の電車まで4時間あるんですけど・・・。何をして待つんでしょうか。
 後で調べたら、どうも福島~米沢間は鉄道好きの間では有名な場所らしい。確かに鉄さんにはたまらんそうな雰囲気だ。

(米沢駅に行く途中の峠駅で売っていた峠の力餅。ホームに見える壁は雪から守る屋根の一部)

 そんな体験をしながら米沢駅に到着。着くと駅は「天地人(2009年予定の大河ドラマ・直江兼続が主人公)」の幟でいっぱい。大河ドラマが決まるとこうなるのか・・・。再来年は盛り上がることでしょう。
 ここでもレンタサイクルを借りて行動することにする。最初は定番の米沢城(上杉神社)。結構な人だった。再来年はどんだけ人が来るのだろうか。

(上杉神社入り口)

 上杉鷹山はやっぱり人気が高くて二つも銅像があった。また米沢城に伊達政宗がいたけど、伊達色がまったくないなあ。あるのは伊達政宗生誕の地の碑くらい。
 上杉神社でお参りした後、宝物館に行く。ここでは有名な直江兼続の愛の兜を見られたのは良かったが、景勝関係のものは私の見た限りでは無かった。予想はしていたけど、米沢城には景勝色もないなあ。がっかり・・・TT
 一通り、米沢城を見て回ると、伝国の杜に入った。中は米沢の歴史を紹介するものだった。休息も兼ねてゆっくりと見て回る。
 それが終わると自転車で林泉寺に行こう・・・と思ったが、地図で上杉憲政の墓のある照陽寺が目に入ったので、そちらに向かう。上杉憲政、あまりいいイメージのある武将ではないですが、生まれた時と周りの状況が悪いのもあったんでしょうね。

(上杉憲政の墓。どうでもいいけど、墓って背景が晴れているよりちょっと曇っているか林の中の方が絵になるな)

 やっぱりこの時期はどこのお寺に行ってもお墓参りの人が多いなあ。とか思いながら、林泉寺に移動する。ここはみなさんご存じだと思いますが、直江兼続のお墓があるところです。

(林泉寺)

 う~ん、ここは予想したよりも人が少なく静かだ・・・。ここは兼続以外の上杉家家臣の墓もあるので結構楽しみにしてきた。それではそれらの一部を紹介しましょう。

水原親憲の墓)

長尾景広

直江兼続夫妻)

 お墓参りが終わると本堂の方に行って中に入ろうと思ったがお寺の方が忙しそうだったのでやめておいた。そして帰ろうとした時、中年の夫婦がおり、夫がタバコを吸おうとしていたので、妻が「境内は禁煙だよ」と注意するが、夫は妻を睨みつけてタバコに火を付けた。おいおい・・・何かあって建物が燃えたらどうするつもりだよ・・・、と思ったが注意をすると何をされるか分からない世の中なので言えなかった。
 そんなちょっと嫌なことがありながら、林泉寺を去って上杉家廟所を目指す。しかし暑い、日差しがきつい、というか痛い!雲が出ないかなあ・・・と思っているうちに上杉家廟所に到着。
 ここはそこそこの人がいた。立派だもんね。さて廟所に行こうか、と思った時にその横の法音寺が目に入ったので行ってみる。中に入ると上杉景勝が亡くなった際に殉死した人の墓を発見。お参りする。

(上杉景勝公殉死者の墓。しかし米沢にある昔の人の墓って墓石が格子状の石小屋?みたいなのに入っている。他の地域で見たことがないけど、この地方の風習なのでしょうか。この方が雨風がしのげて風化から防げるからかな?)

 それから改めて上杉家廟所に行く。おごそかだなあ・・・。雰囲気のいい場所だ。

(上杉謙信廟所。やはり中央の一番目立つところにあった)

(上杉家歴代の廟所)


 さて帰ろうとした頃に、この廟所についての説明が流れ始めた。それによるとここにある上杉景勝の骨は高野山から分骨されたもので、メイン?の骨は高野山の方だそうだ。そうなんだ・・・。じゃあ私は両方行っているので景勝ファンとしてはばっちり・・・なのかな。
 景勝さんと会えたので満足して米沢の観光は終わり・・・ではなく、まだ時間があったのでキヘイジさんに教えてもらった前田慶次の供養塔がある善光寺に向かう。でも、上杉家廟所からだと駅の反対側にありちょっと遠いので、その前に蕎麦屋に寄って食事をする。この近くの交差点で「ここはスウィングガールズで出てきた交差点です」との案内板が・・・。そっか、スウィングガールズって米沢周辺が舞台だったんだ。東北だとは知っていたけど、そこまでは知らなかった。
 まあそれはともかくとして蕎麦を食べて体力を回復すると、善光寺に向かう。だが、分かりづらい場所にあったので、結構迷ってやっと到着。案内板はあったんだけど、知らない土地っていうのもあって・・・。
 なんでここに前田慶次の供養塔があるかというと関ヶ原の戦い後に、ここに住んだらしい。

(前田慶次の供養塔。新しいので最近建てられたものだろう)


 それから再び田園風景を通って米沢駅に戻る。あ~、いいなあ~、こういう風景。出雲のおばばの家の近くを走っているような気分だよ。もう少し涼しければ最高なのだが・・・。
 米沢駅に着いたが、まだ14時で時間がある。しかしたくさんは行けない。ここで選択は3つ、宮坂考古館・上山城・長谷堂城。悩んだけどここはどうしても有名な長谷堂城に行きたくて、わざわざ山形方面に向かった。蔵王駅で降りたら長谷堂方面にバスがあると聞いていたけど、そんなものは無かった・・・。情報が古かったようだ。駅から4キロか・・・。徒歩ではちょっと厳しいので、やっぱりタクシーを使っちゃいました。ああ、またお金が・・・。大金をかけて行くようなところじゃあないけど、関ヶ原の戦いでの激戦地の一つだしな。くうう・・・TT
 着いてみると長谷堂城は思ったよりも小さな丘でとても堅固な城には見えなかった。資料を見る限り地の利を生かした最上軍がよほど善戦したようだ。

(長谷堂城から見た・・・山形市内か?)

 これで史跡巡りは終了。ホテルのある米沢市に戻って、米沢ラーメンを食べると寝た。
感想:今までの3日間がきつかったので、今回は結構余裕を持った予定で動きました。さすがにそろそろ自宅に帰りたくなってきたな・・・。
 しかし鉄さんの情熱はすごいなあ・・・。まあ我々も似たようなものか。何にもないところまで必死で行っているから。
 電車の中で暇なもんで「鉄って言い方はあんまり良くないなあ。上杉家に鉄(くろがね)孫左工門っているから、これから鉄道好きは『まござえもん』っていうのはどうかなあ」とか考えていた。冷静になってみれば(ならなくても)、意味不明で駄目だな・・・。

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5 thoughts on “南東北史跡巡り2007(4日目:上杉神社・上杉憲政の墓・林泉寺・前田慶次の供養塔)

  1. 写真は天気のおかげでいいものが撮れました。

    前田慶次の供養塔は私もキヘイジさんに教えてもらうまで知りませんでした。お墓は・・・他の武将でもよくあるのですが、長い間に分からなくなってしまったみたいですTT
    今でも米沢のどこかのお寺に無縁仏としてあるのかもしれません。

  2. きれいで素敵な写真を撮られてますね。
    前田慶次の供養塔があるとは知りませんでした。
    前田慶次の本当の墓というのは、現在、残っていないのでしょうね。というかわからなくなっているのでしょうかね。

  3. 米沢は満喫できました!本当にありがとうございましたm(._.)mm(._.)m メインはこれで押さえたと思います。

    あのお墓はそんな理由があったんですね。兼続はお墓まで利用しようと考えていたとは・・・。さすが景勝の家臣ですね。

    上山城は近くの温泉も兼ねて行こうと思っていたのですが、重要度では長谷堂城には落ちるかなと思ってやめました。次に山形県に行った時は行こうと思っています。温泉がメインだと思いますけど^^;

    >普通に「くろがねさん」でいいかもしれないですね(笑)。
    では、これから鉄道マニアは「くろがねさん」で(*^^*ゞ

    前田慶次の供養塔となっていた五輪塔も、なんか作り直された感がありましたが・・・。知名度向上の効果でしょうか?

  4. あ、書き忘れた。
    前田慶次の供養塔が立派になっている!
    10年前くらいに行ったときは、石塔が剥き出しでした。
    うーん、良いんだか悪いんだか。

  5. 満喫していただけたようでホッとしました〜。
    見どころはひと通り巡られたようで何よりです。

    ちなみに、格子状の穴の開いたお墓は直江兼続が考案したものです。
    いざというときに、お墓を解体して防御壁にして、あの穴から鉄砲で防戦するわけですよ。いわゆる鉄砲狭間ですかね。
    いかにも現実主義者の直江らしいな・・・。

    長谷堂城まで行かれたんですか! さすがです。
    上山城には行かれなくて正解でしたよ。
    なんてことはない復元城ですから(しかも粗悪)。

    >鉄さん

    普通に「くろがねさん」でいいかもしれないですね(笑)。

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