米沢城(上杉神社)

住所:山形県米沢市丸の内1-4-13

 別名、松岬城・舞鶴城。1238年、大江(長井)時広が城館を築いたのが始まりと伝わる。その後、伊達氏が城を支配した。米沢が奥羽を押さえる要衝の地だったため、1548年に伊達晴宗が当城に居城を移す。以後、輝宗・政宗と三代50年間に渡って伊達氏の居城となる。1591年、政宗が陸奥の岩出山に移されると、会津に入った蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が城主となった。
 1598年、会津に上杉景勝が120万石で移封されると家臣の直江兼続が城主となる。しかし関ヶ原の戦いで上杉家は30万石に減封され米沢に居城を移した。景勝と兼続は城下町の整備に力を注ぎ、現在の米沢市の基礎を築く。
 明治維新後は建物が取り壊され松が岬公園となる。城址には宝物館の稽照殿や伝国の杜などが建つ。

(濠)

(上杉謙信祠堂跡。祠堂とは死者の霊を祀る所や位牌を祀る堂のこと。江戸時代は謙信の遺骸があったが、1876年に上杉家墓所に移された)

(2007年時点の伊達政宗生誕之地の標柱)

(2013年に再訪したら碑に変わっていた。そして「伊達政宗生誕之地」から「伊達政宗公生誕の地」と微妙に変わっていた)

(2011年に建てられた上杉景勝と直江兼続の像)

(上杉鷹山の像)

(鷹山、兼続、竹俣当綱などを祀る松岬神社)

(上杉謙信の像)

(上杉謙信を祀る上杉神社)

感想:一度目の2007年に公共交通機関で行った時はまさか車で再訪することになるとは思いませんでした。


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