筑後守 について

過去の著書 ○もっと知りたい! 長宗我部元親 ○戦国武将の意外な関係 ○「戦国合戦」 意外・驚きエピソード ○大坂の陣・なるほど人物事典

西光寺(安芸吉川氏ゆかりの寺)

●西光寺
住所:邑智郡美郷町宮内501
 浄土真宗。天文19(1550)年、安芸吉川氏の当主・興経は毛利元就に家を乗っ取られた上、長男と共に殺害されたが次男の頼経は落ち延びた。元亀元(1570)年に石山合戦が始まると頼経は本願寺に味方して戦うが重傷を負い障害が残ってしまう。そのため中国地方に戻って出家し、唐渓山(からたにやま。同町都賀行)にあった西光坊という真言宗の無住の寺に入り西光寺と号した。その後、何度か移転し現在地に移る。

(山門)
山門

(鐘楼)
鐘楼

(本堂)
本堂

感想:突然の訪問にも関わらず住職の奥様によくしてもらいました。ありがとうございました!
 頼経の墓は「分からない」と言われたような「以前、寺のあった場所にある」と言われたような・・・。5年も前のことなので記憶が曖昧です。


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常栄寺(毛利隆元の菩提寺)

常栄寺
住所:島根県松江市寺町164
駐車場:無し
 曹洞宗。応永年間(1394~1428年)、理光庵として創建された。永禄6(1563)年、毛利隆元が当寺の住職・文要に帰依した後に安芸で死去したため、父・元就が伽藍を修築し隆元の位牌を安置する。
 天正13(1585)年、隆元の戒名「常栄寺殿光禄大夫華渓大禅定門」から華渓山常栄寺に改めたという。開基は元就、開山は光徳寺(同市石橋町の寺か?)の住職・梅庵祖文である。

(門)
門

(本堂)
本堂

感想:後ろにあまり下がれなかったので本堂全体を撮影するのに苦労しました。松江市八雲町に同名の寺がありますが、そこではないので勘違いされないよう気を付けて下さい。
 隆元が文要に帰依した縁から当寺を常栄寺にしたはずなのに開山が光徳寺の住職になっているなど分からないことが多いです。


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妙法寺(益田氏ゆかりの寺?)

妙法寺
住所:益田市幸町11ー17

 日蓮宗。天正8年(1580年)頃、創建されたと伝わる。瀬戸山城主・松田吉久が開基した下赤名村(飯石郡飯南町下赤名)の妙法寺の別庵だったという。ただし下赤名の妙法寺は開基が慶長2(1597)年の上、当時は吉久が瀬戸山城主ではないため辻褄が合わない。
 戦国時代末期、益田元祥の家臣に藤井宗久という者がいた。宗久は朝鮮出兵に従軍した際、加藤清正に憧れを抱き清正の信仰する日蓮宗に傾倒する。帰国後、義兄で日蓮宗に帰依していた伍井正信と共に本堂改築を計画し、慶長7(1602)年に元祥に対して寺地の寄進が願い出たところ聞き入れられたという。しかしこの頃すでに元祥は毛利輝元に従って長門に去っており疑問が残る。
 慶長8年(1603年)に竣工された。慶応2(1866)年に火災で古記録などが焼失したため詳細が分からず、上記のような矛盾が生じたと思われる。

(山門)
山門

(鐘楼)
鐘楼

(本堂)
本堂

感想:山門の近くに駐車場があります。それくらいしか印象に残っていないです。


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