筑後守 について

過去の著書 ○もっと知りたい! 長宗我部元親 ○戦国武将の意外な関係 ○「戦国合戦」 意外・驚きエピソード ○大坂の陣・なるほど人物事典

第一回 尼子再興の旅(1日目午前:月山富田城)

 2019年7月14日(日)~15日(月)、第一回 尼子再興の旅(尼子再興450周年実行委員会 第1回イベント史跡巡り)を開催した。主催のメインは尼子動画の巨匠・エコシエーターさん、おまけが私。案内の分担は城がエコシエーターさん、寺社と墓は私である。そして参加者は県の内外から集まった8人(というか参加者に島根県民はいなかった)。
尼子再興450年 尼子再興(再考・採光・最高)の旅の概要

 14日(日)8時半頃、米子駅に着く。天気は今にも雨が降りそうな曇り空。参加者の一部と合流し月山富田城に向かう。渋滞はしなかったが思ったよりも時間がかかり集合時間の9時半ギリギリに到着した。すでに集合場所には全員集まっており、急いで合流して広場で順番に自己紹介。あれ、一人足りない・・・。一人が集合場所を間違っていたらしく、エコシエーターさんが呼びに行かれた。これで主催者と参加者を合わせて10人が集まり早速出発。

・塩冶興久の墓
 整備された富田城の入口にある。尼子経久の三男・興久は塩冶氏を継いだが所領の不満から反旗を翻した。しかし経久に敗れ備後に敗走後、自害する。
 ここでの私の説明が盛り込みすぎだったため、ちょっと反省。出だしなのでもっとサラッと流せば良かった。

(興久の墓。イベント中は案内と皆さんの安全に気を配らないと行けなかったので写真は撮れなかった。よって過去のものばかりである)
塩冶興久の墓

 ここから富田城を登る。案内するエコシエーターさんで先頭で最後方が私。登るとすぐに馬乗馬場と曲輪に出る。更に先にある曲輪や尼子屋敷なども見えた。

(馬場全景)
馬場全景

 その後、千畳平と尼子神社に到着。皆さんもこの頃は緊張されていたのか、神社への参拝を促しても最初は躊躇されていた。

(神社)
尼子神社

 そこを過ぎるとメインの一つである山中鹿介祈月像が見えてきた。私が「記念に(参加者と)一緒に像を撮りましょうか?」と聞いても誰も反応せず。この後も何度か聞いたが応じる人は皆無だった。史跡巡りだと史跡だけ撮りたいよね。

(像)
山中鹿介祈月像

 奥書院を経由して花ノ壇に到着。ここで小休憩。一人だけ顔ハメパネルに挑戦する猛者がいた。

(多分、晴久と奥さん)
顔ハメパネル

 のちにツイートを見たら参加者は楽しんでいたようだが、顔を合わせたことがない人達ばかりだったので会話が少なく楽しいのかどうか不明だった。「天気も悪いし失敗だったかな」とか考えていた。

 小休憩が終わったら山中御殿に行く。ここは主催二人の事前の打ち合わせ通り「山中(さんちゅう)御殿」だと説明した。私もだが最初に来ると「山中(やまなか)御殿」と読んでしまいがちなので。
 エコシエーターさんの解説後は参加者が各自散策。

(山中御殿と七曲がり)
山中御殿と七曲がり

 それから一番大変な七曲がりを行くことになったが、一人の参加者が軍用道から行きたいと言われ私が同行。すぐに七曲がりグループと合流。ここは脱落者が出るかと心配していたが今年は気温が26度くらいと低く(昨年は34度くらい)、熱中症の方も出ず全員が登り切った。
 この時、登りながら解説しているエコシエーターさんが大変なことを知った。私が城に詳しくないから勝手に担当を決めたのだが、七難八苦を味わわせることになるとは想像もしていなかった。

(軍用道)
軍用道

 あとは三の丸・二の丸・本丸と順々に回って本丸にある勝日高守神社を参拝して下山。いろいろあったが、参加者の誰かが別行動をしないか見張っていたので詳しいことは覚えていない。

(山頂付近からの景色)
山頂付近からの景色

・巌倉寺
 下山途中に寄った寺。堀尾吉晴の墓の近くに、吉晴の妻が建てた山中鹿介幸盛公供養塔がある。予想していたが石畳で何人かが転けた。多分、怪我人はなかった。

(供養塔)
山中鹿介幸盛公供養塔

 下山後、道の駅広瀬内の食堂に行く。連休中ということもあり結構な人がいた。全員は入れなかったので取りあえず土産物や資料館などに行ってもらいながら空いたら入ってもらうことにした。調整して何とか全員食事ができた。

午前の感想:一番気を張っていた時だったので、あまり記憶がない。小雨程度で済んで良かった。

第一回 尼子再興の旅(1日目午後:富田城周辺)に続きます。

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