熊野地方史跡巡り2005

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 平成17年7月23日、前から行きたかった熊野地方に行って来ました。
メインはもちろん北山一揆関係の史跡である(って何がもちろんなんだかよう分からんけど)。
 23日朝5時、家を出て、名古屋市内で友達と合流していざ熊野へ出発。今回は一刻も早く目的地に到着して一ヶ所でも多く回りたかったので、名古屋高速を使って東名阪自動車道に乗ることにする。私は愛知県に三年以上いるが、今回初めて都市高速に乗るのでドキドキ、、、。
 でもまあ取り合えずなんとか危ない目にも遭わず出口も間違えずに東名阪自動車道と合流し、そのまま南下に成功した。これで後は楽しいドライブになるはずだったが、、、四日市辺りで雨がザーザー降ってきたTT 天気予報は晴れだったはずなのに~~~>< と天気のことを怒っても仕方がないので、涼しいからよしとしようと自分に言い聞かせ、伊勢自動車道に乗りかえて、さらに南下。
 そして勢和多気インターで降り、今度は地道に国道42号で移動する(この時、話に夢中になって伊勢西インターまで行って引き返してきた気がするが、きっと疲れによる幻覚だろう。というかそう信じたい)。
 ここからはもうずっと山、山、山。とにかく山間の道をひたすら進むのである。途中、北畠がどうとか書いてあった案内板を見つけたけど、そこはまた行けると思い、無視して南下。
 ひたすら行くこと1時間ちょっと。急カーブと霧(というか雲)の中という二重苦のような道を抜けて出たのが、尾鷲市。そこでカフェインだけしか入っていないみたいな飲み物を飲んで眠気を覚まし、さらに南下。名古屋市を出てから4時間後、午前10時に熊野市に到着! 長い、、、時間も長いが三重県も長い、、、。
 しかし目的地はここではなく、更に奥の北山村である。日本で唯一の飛び地の村らしい。そこに行くには熊野から県道34号を使って行くしかないため、そこをひたすら登る(山を越えていくので登りになるのです)。
 しかし途中で堤防の補強をするためにコンクリ車が停まっており、乗用車がやっとすれ違える程度のその道では、進むことが出来ず立ち往生してしまった。そこで車を降りて「迂回路はどこですか?」と聞くと「北山村に行くにはこの道しかない。終わるまで待ってください」と言われる。生まれて初めてだ、工事中の道に迂回路がないなんて、、、。
 待つこと15分やっと通れるようになり、更に道を登る。上に行けば行くほど狭くなり、遂には1台がやっと通れるくらいに、、、。しかも熊野市と北山村を結ぶ唯一の連絡道路なので車がばんばん来て本当に大変だった。下りになると後ろの軽自動車が勢いづいてきて離合できるところで道を譲ったところ、まったくついていけないくらいのドライビングテクニックで降りて行った、、、。向こう660ccでこっちは2000ccなのに、、、。イニシャルDか、、、。
 そんなこんなでなんとか北山村に到着。まず私を出迎えてくれたのは、七色ダム。(↓がその写真です)

 うお~~~、まさに秘境。これはすごい、、、。熊野地方に来たぞ、って気分になってきました。そこから土むき出しのトンネルを抜けて、北山村の中心地に。途中、竹原八郎の屋敷跡を発見。竹原新四郎の先祖らしいので写真を撮影。予定していなかったので思わぬ収穫だった。
 それから今回のメインである紀和町に向かう。ここには北山一揆関係の史跡がいくつかあるので、どうしても一度は行っておきたかった場所なのである。その最中、ずっと千枚田が目に入る。ここは後で知ったのだが千枚田で有名な場所らしい。こういう風景を見ていて、この辺りの人達が一揆を起こした理由が分かったような気がした。このような土地では農作業も大変で耕作量も多くはないだろう。それにも関わらず、平地の人達と同じような年貢をかけられてはさぞ苦しくそのため一揆に走ったのでは、、、と思ってしまいます(その辺りは一揆の原因もご覧ください)。
 いよいよ目的地の紀和町に入る。入ってすぐに平谷の三介地蔵(三介さんの紹介)があるはずなのだが、、、と思ったら丁寧に標識がありました。車を道に停めてお参りする。一応、看板はあったものの案内板はなし、、、。これだと来る人が少ないだろうなあ、、、。何がなんだか分からないだろうし。
(平谷の三介地蔵)

 その次に向かったのが山城好きには有名な赤木城。私はどうでもよかったが二度と来ることはないだろうと思い、一応寄ることにした。北山一揆の時も利用された“らしい”し。というかこの場所だったら利用されたと考えるのが自然だろう。ここは人も待たせていたのでパッと回ってさっと写真を撮って終了。次に向かうことにする。
 次こそが今回のメインの中のメイン、田平子峠刑場跡である。場所自体は天正17年の天正一揆での処刑場跡だが、ここにある供養塔は北山一揆で亡くなった人も祭ってあるのだ。
 そこを求めて町内をぐるぐると回っていたが、標識らしきものが見つからず、困ったあげく丘の上で草刈をしているお兄さんに場所を尋ねる。すると「ここだよ」とのこと。なんとその草刈をしている丘がそうだったのだ。お兄さんに感謝して供養塔に行く。一緒にいた友達の言葉を借りれば呼ばれたのだろう、ってなるかもしれないが、大体の目星をつけて回っていたので、その近くにいても特に不思議ではない。
(一揆殉難者供養之塔)

 この旅の間、「一揆で300人以上死んだとか数字で言うのは簡単だけど、その人それぞれに人生があって、それぞれの思いを抱きながら一揆に参加して亡くなっていったんだなあ、、、」などと考えてしまいました。当たり前のことと言えば当たり前なんだけど、そういうことって忘れやすいし後回しにされやすいよね、、、。まあ専門的にやっとる人はそんなこと言っとれんだろうけど。
 そして紀和町最後の場所は布引の滝に向かう。日本の滝百選にも選ばれた見事なものらしい。滝マニアの私としては行かないわけにはいかない。今度は標識があったので迷わずそちらに向かうが、、、ずっと標識があるにも関わらず行けども行けども着かない。迷っているわけでもないのになあ、と思いながら走っていると、やっと到着。実に田平子峠から1時間近くもかかってしまった><
 そんな奥にある滝なのでさぞ立派なのだろうと思い、見てみると、、、何これ? ダム、、、? なんだろうか、このがっかり感は、、、。写真で見るとさほでもないのだが、実際に見るとなぜか人工物っぽい。

 ここで力尽きた私は友達と運転を交代してもらう。そして紀和町もここで終わり、次なる目的地である新宮市に向かった。と行ってもかなり遠いんだけど、、、。熊野川に出てそこからずっと南下。やっと新宮市に出る。この頃、すでに14時半。途中ずっと食堂も無ければコンビニもなかったので食事をしておらず、ふらふらだったため、うどん屋で休憩。
 その後、新宮城に行く。ここは前に行ったのだが写真を撮りなおしたかったので寄っただけ。ささっと撮ってさっさと戻った。
 そしてそこから近かったので熊野速玉大社に寄ることにする。別に戦国時代とは何も関係が無いのだけど、せっかく熊野地方に来たし一ヶ所くらいは熊野神社関係に行きたかったので。ここは全国の熊野大社の総本宮らしいし。そんな由緒正しきところならさぞご利益もあるだろう、と社殿に詣でおみくじをひく。なんか意味無いのに寺社に行くとおみくじ引いちゃうんだよね、、、。めくってみると、、、おお、、「大吉」。「今後、すべてのことが上手くいくが調子こいたらいけんよ」と書いてあった。痛いところを突くな、、、>< おみくじというより教訓として心に留め置こう。
 これにて史跡めぐりは終了~。熊野速玉大社でお土産を買って名古屋を目指す。ああ、、、また250キロのドライブか、、、。
 途中、津市で休憩した際、うれしい知らせが入る。熊野速玉大社のご利益か、、、? まあ偶然といってしまえばそれまでだが。その後、津市内で行われていた花火大会を遠目で眺めながら帰宅。家に着いたのが23時でした。
 今回は予想通り疲れましたが、何やらよいことが始まる予感がする(というか始まっているけど)旅でした。
 最後にこんな旅に付き合ってくれた友達と、紀和町の史跡の資料を送ってくださった紀和町役場の方、本当にありがとうございました。皆さんも一度、熊野に行ってみてください。本当にいいところです。晴れてれば景色も良かったんだろうなあ~TT
 次は熊野本宮大社と那智の滝に行くぞ~。当分先だけど。

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熊野地方史跡巡り2005” への4件のコメント

  1. ありがとうございます!
    本当に疲れました、、、--;

    熊野地方は大阪からも名古屋からも遠いですよね。
    私も今度は十津川辺りに行ってみたいです^^

  2. こんばんは。

    一揆いや、一気に読みましたよ。
    朝から晩までの移動、お疲れ様でした。

    私は夏前に、竹原八郎のお墓まで連れていってもらいました。
    屋敷跡はそのうちに・・・と言う事で(^_^;)
    なんかすごく遠そう。

  3. ありがとうございます!
    >一揆とは盲点でしたよ
    大坂の陣に関係ある場合は見境なく集めていますので^^;

    私もどっちかというと人物に目がいきます。それらの情報を集めて合戦なんかを理解していく、、、っていうタイプですね。

    一揆も今起こっているテロもそうですが、事情があって起こしているのですから、悪の一言で切り捨てられないですよね、、、。
    かといってゆるされる訳ではないですが。

    最近、よく思うのは、古今東西老若男女、人にはいろいろ事情があるんだな、、、ってことです。だから何でも一方的には決めつけられないですよ。

    滝、本当にショックでしたTT まあ七色ダムがよかったので、相殺と言うことにしておこう、、、--;

  4. レポ、ご苦労様です!
    なるほど、一揆とは盲点でしたよ。
    オレの場合、歴史的事象よりも、武将の人物像を読み解くことの興味が強いので、筑後川さんのような自分とは違った視点の人のレポはとても新鮮で刺激になります。
    どんな理由があれ、一揆というのは「武力蜂起」なわけで、決して褒められた行為ではないのですが、だからといって「即ち悪」というわけでもない。そこが非常にやりきれないですよね。
    ただ、体制側による一方的な切り口でのみ切り捨てられてしまうのは許せんです。なので、筑後川さんのような感覚はとても大事なことだと思うなぁ。

    滝は写真で見てもダムっぽいよ!心中お察しします。

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