紀伊半島史跡巡り2008(2日目:熊野那智大社・安宅一族の墓・三段壁・紀伊田辺城・上野山城)

 平成20年1月27日、朝6時に起きる。ああ、良く寝た。では食事を取って出発。取りあえず近くの海岸で那智湾の朝日を見る。

(朝日。う~~ん、微妙)

 那智と言えば那智の滝。ということで朝の7時半に熊野那智大社に到着。うお・・・当たり前だが、びっくりするくらい誰もいないぞ。しかも駐車場も空いていない>< そこで次の目的地だった阿弥陀寺へ先に移動する。阿弥陀寺は女人禁制の高野山に変わりに、詣でる女性が多く女人高野と言われていたそうな。
 到着すると当然ながら誰もおらず、ゆっくりと境内を廻る。

(阿弥陀寺に行く途中にあった見晴台から見た太平洋。逆光でほとんど見えない・・・。朝日が出たばかりの頃だったら綺麗だったんだろうな)

(阿弥陀寺本堂。大層なものを予想していたが普通のお寺だった)

 ここで時間が8時を過ぎたので駐車場が空いたかなあ、と思って那智大社に戻るとちょうどおじさんが入り口を空けているところだった。やっと車を停めることが出来て那智大社に向かう。あ~、人気がないときの立派な神社っていいなあ・・・。

(那智大社の鳥居)

(那智大社の本殿。神社の皆さんはこれから仕事開始。出勤時間は8時半なのかな?)

 これで熊野三社の本殿に参った。取りあえず第一の目標は達成。次は生きている間に一度は行ってみたかった那智の滝に行く。本殿から滝の方を見ると結構遠いな。でも駐車場に戻るのも面倒だから歩くか、ということで那智の滝まで歩いて向かう。

(その途中で撮影した三重の塔と那智の滝。定番中の定番の写真)

 そこからまた滝まで歩く。意外と近かった。すでに9時を過ぎていたのでさすがに観光客が増えてきており、バスツアーの人達に紛れながら滝に到着。おお・・・やっぱり近くで見ると迫力が違うぞ~。さすが日本最大の落差を誇るだけはある。

(那智の滝その1)

 上記の写真に見える鳥居から奥に行くにはお金を払わないといけないので、受付の巫女さんにお金を払ったが、その時、すんごく寒そうだったので、近くにいた宮司さんっぽい人に「寒くないですか」と聞いたら、「寒いです」と即答。周りの神社関係者の方も頷いていた。何か羽織っちゃ駄目なのかな・・・。そんなこんなで那智の滝を更に近くで撮影する。

(那智の滝その2)

 これで長く滞在した熊野那智大社は終了して、続いて紀伊半島を一周するために下界に戻り、国道42号をひたすら走る。道は空いていて非常に走りやすい。やがて次の目的地、橋杭岩に到着。史跡とは関係なし。ただ単に景色が撮影したかっただけ。

(橋杭岩)

 撮影が終わるとすぐに出発。そしてすぐに串本町の島にある樫野崎灯台に到着。ここは戦国の史跡とは関係がないが、有名なエルトゥールル号事件の舞台となった場所である。やっぱり串本町に来たからには誰もが行ってみたいよね。
 駐車場に停めて樫野崎灯台まで歩いている最中にエルトゥールル号事件で亡くなられた方の慰霊碑の前でツアー客と会った。
「何だこれ?」「よく分からんなあ・・・」
みんな変わったものを見るような目で見るだけで誰も分からない様子。まあ、そんなものか・・・。

(トルコ軍艦遭難慰霊碑)

(樫野崎灯台から見た太平洋)

 ここまでで本日の予定の移動距離の3分の1もまだ行っていない。気合いを入れて運転するか。と思いながら、次は温泉で有名な白浜町に向かう。車で行くこと1時間半くらい(だったと思う)、次の目的地である安宅本城に到着。な~んにもない。ただの住宅街。

(安宅本城。土塁とか井戸が残っているらしいのだが・・・結局探さなかった)

 ここでこの安宅地区の観光案内の看板を発見。それを頼りにちょっと安宅地区を散策してみた。まずは安宅氏の菩提寺・宝勝寺に到着。住職の娘さんに一族の墓の場所を聞いて参らせてもらう。
(安宅一族の墓。どれが誰の墓かは住職さんが不在で分かりませんでした)

 その後に八幡山城に行って終わった。行くまでは安宅本城しか知らなかったけど、結構見所が多い地区だった。
 それからいよいよ南紀白浜の名所で熊野水軍の基地だった三段壁に行く。昔、会社の人達と行ってからもう5年かあ・・・。月日が経つのは早い。なんてことを思っているうちに到着。ここは観光名所なのでそこそこ人がいた。
 入り口でお金を払ってエレベーターを使い、地下の洞窟まで行く。

(エレベーターを出るとお出迎えしてくれる人形。手前の鎧で記念撮影可)

 中を見て回るが、う~~ん、変わっていないねえ。観光観光しすぎてちょっと微妙かな。

(洞窟の中)

 洞窟を出た後、疲れていたので温泉にでも寄りたいところだったが、時間がないので更に北上して田辺市を目指す。でもその途中で懐かしの「とれとれ市場」が見えたので、遅い昼飯を食べるために寄る。中は相変わらずのすごい人、そしていつものとれとれソングが流れている。
 ここでとれとれラーメンをいただく。

(とれとれラーメン。海鮮たっぷり)

 再びメイン道路に戻って田辺市にコースを取って車を走らせ紀伊田辺城に到着。昔は立派な城だったようだが、今は公園の下にある水門のみ。いと哀れ・・・。

(田辺城水門)

 さっと撮影し終わると川を挟んだ向かい側にある西方寺に行く。安藤一族の菩提寺である。道が狭くて行けるのか思ったが、無事にたどり着いた。

(西方寺の山門)

 そしてそこからまたすぐ近くの上野山城に向かう。南北朝~戦国にかけて湯川氏が城主だった城だ。ここは本当に何にもないらしいので不安で近所の方に聞いてみたら「そんなものはない」と冷たいお答え・・・TT
 仕方ないのでちょっと周辺を歩くと・・・見つかった。こりゃ近所の人も分からんわ。(上野山城。こりゃ興味ない人だったら、ゴミ収集の案内板くらいにしか思えんわ。まあ案内があるだけましかな。この辺りは小高い丘にある住宅地なので、城があった雰囲気はした)

 これで田辺市も終わって、最後の目的地である御坊市湯川町丸山にある紀伊亀山城に向かった。ここは道が細くて普通車でとても行けるような雰囲気ではなかった。私は非常に肝が悪い(地元の方言で気が弱いこと)ので、やめて帰ろうと思ったが、いろいろあって行ってしまった・・・が、Uターンも出来ず戻れなくなってしまい、JAF呼んで何とか戻れた。まあ、何にしても事故がなくて良かった。JAF待ち時間のせいで城を回れなかったけど、そんなに思い入れがあった訳じゃないからいいや。

(紀伊亀山城を住宅街から望む。後でJAFの人から行った道が間違っていることを聞いた。しかし正しいルートも桜の時期以外は閉まっているとのことだった)

 いろいろあったが無事に史跡巡りを終了し、ホテルに入り、食事を済ますと21時にはまた寝た。今日も良く走ったよ・・・。

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紀伊半島史跡巡り2008(2日目:熊野那智大社・安宅一族の墓・三段壁・紀伊田辺城・上野山城)」への4件のフィードバック

  1. >キヘイジさんへ
    失礼ですが「寒いです」には私も聞いたときには・・・。「お大事に」と意味不明な言葉をかけて通り過ぎましたけど。

    キヘイジさんもお一人で行かれたらたどり着けたと思いますよ。人と一緒だと見切りをつけないといけない時があるので、やめますけど、一人なら時間が許す限り探せますから。

    私は始めたことをダラダラと続ける癖があります。それがいい方に働くこともあるし、時間を無駄にしてしまうこともあります。
    いいか悪いかは結果が出てみないと何とも言えないですね。

  2. >柳葉さんへ
    「とれとれ市場」のとれとれは「捕れ捕れ」であっていると思いますよ。
    この市場では延々と「とれとれとれとれ♪」と歌が流れています。

    那智の滝は行って絶対に損はない場所です^^ 誰が行っても感動間違い無しです。

    上野山城は・・・マイナーなので仕方がないですが、あれはちょっと寂しいですね。行く人はほとんどいないと思います。

    史跡が分からない場合、近くだったら諦めもつきますが、遠いとさすがに・・・。特に田辺市とかだとそうそう行くとも思えなかったですし。

    ラストは近所の人の意見を鵜呑みにした自分の責任ですーー; 事故もなく車も無事だったので今ではいい思い出ですが^^;

  3. 「寒いです」「そんなものはない」
    こういう何気ない一言が妙に笑えます。

    今回の史跡は、僕ならまず辿り着けないと思います。
    上の方もおっしゃっていますが、諦めずに探すことで何か得る物があるんでしょうね、きっと。
    僕も見習おう。

  4. とれとれラーメン!すごいボリュームですね。「捕れ捕れ」って意味ですかね。那智の滝も迫力ですね!!

    上野山城、切ないですね・・。住宅地の中なんですね・・。
    気づかず通り過ぎてしまう。

    いつも思うのですが、史跡をあきらめずに探す姿勢がすばらしいです☆
    ラストは大変でしたね・・T_T

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