富山県史跡巡り2008(2日目:射水市・高岡市・南砺市)

 平成20年9月10日(水)、本日も快晴。

10:長岡御廟・・・富山市長岡にある。富山藩主の菩提寺。初代・利次ら歴代の墓がある。
 支藩の藩主の墓ですら、こんな立派なのか。やはり勝者は違うなあ・・・。

11:佐々成政剃髪碑・・・富山市安養坊の民俗民芸村の中にある。佐々成政が豊臣秀吉に敗れた際にここで剃髪して服従の意を示したと言われている。

12:日宮城・・・射水市日宮にある。神保氏が築城した山城。1572年の武田信玄上洛に呼応して、一向一揆が上杉方だったこの城を攻め落城させている。その後、織田軍が所有した。
 現在は遺構は特に残っていない。日宮神社に案内板があるが、ここは城ではなく、この裏が城跡らしい。

13:放生津城・・・射水市中新湊の放生津小学校内にある。南北朝時代、越中守護だった名越氏が後醍醐天皇側の軍に攻められて落城した。その後、越中守護代となった神保氏の居城となる。戦国時代、政変で逃げてきた足利幕府10代将軍・義材を保護したので、北陸の文化・経済などの中心となった。越中を前田家が支配すると、家臣が入ったが、やがて廃城となった。
 ここも一応校内に碑があったため、学校に事前連絡しておいた。遺構はなく、碑があるのみ(その碑も城址と刻んであるだけ)。グラウンドと碑の間に盛り土があったが、土塁ではなかった。

14:高岡城・・・高岡市古城にある。1605年に加賀藩主・前田利長は弟の利常に家督を譲って富山城に隠居したが、火災にあったため、高岡に城と町を作って移り住んだ。設計は当時、前田家に預けられていた高山右近が行なっている。その後、利長が亡くなり、一国一城令のため廃城となった。現在は壕・石垣が残っている。
 今日のメイン。来年が高岡開町400年にあたるので、高岡市は気合いを入れているようだ。売店の方によると「イメージキャラクターの『利長くん』をひこにゃんまでは無理でも人気者にしたい」とのこと。売店でも利長くんグッズが結構並んでいた。
 城に関してだが、ここまで残っていたのに幕府からは咎めはなかったのだろうか。明らかにすぐに活用できそうなのに。

(利長くん。今年も忙しそうだが、来年は休む暇もないくらい働くのだろう)


15:前田利長墓所・・・高岡市駅南にある。1646年に加賀藩主・前田利常が建てたもの。外堀がめぐらされ石灯籠が並んでいる。元は15万平方メートルあったが、現在は1万平方メートルに縮小されている。
 現在でもかなり広いが、往事は上記の通り、広大な敷地に二重の堀がめぐらされていたとのこと。戦時には城として利用するつもりだったのだろう。
 さすがは100万石の大守。墓の大きさの桁が違う。

16:瑞龍寺・・・高岡市関本町にある。前田利長の菩提寺。18年もの歳月をかけて整備された大寺院。現在は総門・山門・仏殿・法堂・明王堂・回廊が国の重要文化財に指定されている。またここには織田信長・信忠親子、信長の側室、前田利家、利長の墓もある(織田家の墓があるのは利長の妻が信長の娘だったため)。
 まあとにかく立派なこと。門をくぐるとその広さと豪華さに圧倒される。歴史に興味あるなし関係なく一見の価値有り。


17:勝興寺・・・高岡市伏木古国府にある。浄土真宗本願寺派のお寺。越中の一向一揆の拠点で寺領は10万石もあったという。何度か移転を繰り返し、1584年に現在地に落ち着いた。本堂などが国の重要文化財に指定されている。
 現在、勝興寺は修復中で本堂など一部しか拝観できなかった。がっかり・・・。

18:守山城・・・高岡市東海老坂にある。1371年、南朝方が越中守護の畠山氏の本城だったここを攻め落としたのが最初に残っている記録である。その後、神保氏・佐々氏が所有し、1585年の越中征伐後は前田利長が入った。しかし富山城に移ったため、家臣が管理したがやがて廃城となった。
 山頂まで車で行けるが、登山されている方もちらほら見かけた。史跡自体は案内板以外は特に何もない。例によって景色は良い。

19:能景塚・為景塚・・・砺波市頼成新にある。一向一揆と戦った般若野の戦いで戦死した長尾能景と、同じく一向一揆と戦って戦死した為景の塚がある(ただし為景は越後で病死したのが定説となっており、この塚は誤伝である)。
 為景塚は田んぼの中にあったのですぐに場所が分かったが、能景塚が分からなかった。そこで農作業されている方に聞くと
「ああ、うちの敷地内にあるよ」
 何という偶然。許可をもらって家に入れていただいて撮影した。

20:井波瑞泉寺・・・南砺市井波にある。1390年に本願寺5世綽如が創建した寺。戦国時代には武田信玄と通じて、加賀・越中・能登の各寺に命令を下し、一向一揆の中心地となった。しかし1581年に佐々成政との戦いに敗れ伽藍なども焼け落ちてしまう。前田家が越中を支配すると再建されたが、明治時代に火災のため、再びほとんど建物を失ってしまったものの、再建され現在に至る。
 敷地内にある宝物館は貴重な仏具などがあり、価値が分からなくても見ておいて損はない。

21:井波城・・・上記の井波瑞泉寺に隣接している。近くの福光城にいた石黒氏に備えて瑞泉寺が築いた城。1581年に佐々成政に攻められて落城し、成政の家臣が入ったが、越中征伐で落城し廃城となった。現在は招魂社・井波八幡宮が建っている。
 お坊さんが建てた城なんて初めて聞いた。越中・能登・加賀はお坊さんが建てた城が結構あるのだろうか。まあ寺も城郭並みのようなものあるので、そう驚くようなことでもないのだろうが・・・。

 これにて越中史跡巡りはお終い。愛知県に帰った。蚊に刺されたくらいで特にトラブルもなく終わった。

感想:急に行ったので下調べが不十分で取りこぼしが多かった。ちょっと無計画過ぎたかな・・・。
 富山県は格式が高く豪華な寺院が多い。さすが戦国時代に各大名と肩を並べるほどの勢いを誇った一向一揆と、100万石の支藩が治めた土地なだけはある。
 魚の旨い冬にも行ってみたいが、雪で史跡行くのが大変になろうだろうからやめておこう。

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富山県史跡巡り2008(2日目:射水市・高岡市・南砺市)」への4件のフィードバック

  1. >柳葉さんへ
    私も行くまでは「何で利長なんだろう?」って思っていました。
    利長が高岡城に入った9月13日は、高岡城や利長の墓で祭りや供養祭が行われると書いてありました。

    利長の兜は、どうしていたんですかね。あれじゃあ動くのは難しそうですが・・・。
    富山城に現物がありますので、機会がありましたら行ってみてください。

    >瑞龍寺の1枚目の写真が好きです。
    ありがとうございますm(._.)m ここは本当、いいですよ。

    能景塚は個人宅ですので案内も何もなく石が積んであるだけです。行くまで個人宅だと知らなくて為景の周辺を探し回ってました><
    写真をネットで見ないのでやはり行きづらいんでしょうねえ・・・。私もたまたま家の方と会わなければ行かなかったでしょう(そもそもたどり着けていないでしょうが)。

    >本当に丁寧に一つ一つ廻られていて
    いえ、今回はちょっと雑でした。コースも無駄が多くて不必要に時間がかかりましたし・・・。
    >お疲れ様でした
    ありがとうございますm(._.)m 詳しく調べてもう一回行きたいですね。

  2. >キヘイジさんへ
    そうですよ。しかも高岡市は市内の文化財の世界遺産指定をめざして動いています。

    利長くんは今年も各地の祭りやイベントに積極的に参加してアピールをしているようです。
    利長くんの人気はどこまで行くんでしょうか。個人的には、しまさこにゃんは目つきが悪くて怖いので、利長くんの方が可愛いと思うのですが・・・ちょっと地味なので微妙ですね。

    利長は当時何もなかった高岡を一から造った人物ですから慕われているんでしょうね。私が銅像にを見に行った時も、遠足に来ていた園児が集合して利長についての説明を受けていました。分かっていないとは思いますけど^^;
    景勝は・・・謙信と兼続に挟まれて影が薄いですねTT

  3. 利家の方が有名なので、利長のグッズ?マスコットキャラ?と思ってしまいましたが、来年が高岡市の記念すべき年だからだったのですね。(^^)
    (利長ファンの方すみません。)
    利長の兜は以前「トリビア」でも紹介されてました・・。
    バランス保つの大変でしょうけど・・、インパクト大!一度はこの目で見ておきたいです。

    瑞龍寺の1枚目の写真が好きです。
    広いところですね(^^)

    「能景塚・為景塚」
    なんと、個人の敷地内に塚があったのですね。
    能景塚、ひっそりとしたところにあるのですね。
    敷地内なので、あまり家の人以外は来られてないかもしれませんね・・?
    見つかってよかったですね!!(←宝物や探し物が見つかる時と同じ気持ち。)

    筑後川さんの史跡巡りは
    本当に丁寧に一つ一つ廻られていて、
    いつもすごいなあと思います。(^^)お疲れ様でした☆

  4. なるほど、高岡限定とはいえ利長くんキューピーとは思い切ったな、と思っていましたが、そういう理由でしたか。
    キャラとしての利長くんを売り出したいんですね。
    米沢の「かねたん」と共に頑張りましょう。
    ひこにゃんは無理としても、しまさこにゃんには負けたくないですね、なんとなく。

    いや、でも、高岡の利長人気はただごとじゃないですね。
    米沢の景勝人気とは大違いです。見習え、米沢。
    しかし銅像まであるとは。
    どことなくほんわかしていていいなあ、銅像。

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