山陰帰省&史跡巡り2008(2日目:摩尼寺・雨滝・奈佐日本助の墓・赤松八幡宮跡)

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 山陰に帰省して初めての朝。前日に友達から連絡があったので、史跡巡りに付き合ってもらった。
(友達の待ち時間に撮った海。今日も快晴)

 それから友達と鳥取市に向けて出発。今日は行ってないところ廻るぞ~。
1.摩尼寺・・・鳥取市覚寺にある。因幡地方屈指の古刹。
 昔から「摩尼さん」の通称で存在は知っていたが一度も行ったことがなかったので、これを機会に是非行こうと一番楽しみにしていた場所。戦国とも関係があり、豊臣秀吉が鳥取城攻めの際に焼き討ちを行なっている。
 ここで叩くと健康になれるという木魚があったので、ぼかぼか叩いていたら友達に怒られた。いいじゃん・・・ーー;


(摩尼山の中腹にある展望台から見た鳥取砂丘など。「砂丘や海岸などが良く見える」なんて書いてあったけど、ちょっと微妙な風景じゃない・・・? そういや砂丘、8年くらい行ってないなあ)

 下山するとすでに昼飯時で門前の精進料理屋が有名だったが、もっとこってりしたものが食べたくてパスした。そこで次の目的地方面の西に車を走らせたが・・・食事をするところがまったく見あたらない。このまま行っても埒があかんと思って、友達を説得してコンビニのポプラに入った。やっぱり中国地方に来たらポプラだよ。ご飯が美味しいのでコンビニの弁当では一番好き。テーブルも用意してあったのでそこで食事をしていたら

はっ!?コンビニにドリンクバー?
そんなこんなで次の目的地・雨滝に向かっていたら思い切り道を間違えて50メートル先が兵庫県なんていう山の上にまで出ちゃった。引き返して無事に到着。
2.雨滝・・・鳥取市国府町雨滝にある。日本の滝百選に選ばれた落差40メートルの滝。
 滝好きの私も、一般人の友達も満足。涼しいし、滝は立派だし。史跡を離れての観光もいいなあ、とか思っていたら、ここは七曲り城という場所の下だった。七曲り城は毛利軍の武将が入っていたが、豊臣秀吉によって落とされたらしい。へ~。
(涼しさに思わず子供もダッシュ)

(私の中でのベストショット)

(見事の一言)

3.丸山城・・・鳥取市丸山町丸山にある。鳥取城の攻防戦で奈佐日本助らが籠もったが、本城の鳥取城が落城したため開城した。開城後、日本助は海賊行為を咎められ自害させられている。
 肝心の城は遠目に見るだけで、奈佐日本助と塩谷周防守の墓と言われるものを撮影して終わった。

4.吉川経家の墓・・・鳥取市円護寺にある。鳥取城攻防戦の際の城代で、鳥取城落城後、責任を取って自害する。墓は移転を繰り返した後、現在地に落ち着いた。現在は公園となっている。
 住宅地の端にあるので友達は「住宅地の中にあるなんて・・・」と驚いていたが、区画整理などでこういった場所に武将の墓があるのは珍しいことではない。でも一般の人の反応はそんなもんなんだろうな。

5.赤松八幡宮跡・・・鳥取市湯所町にある。関ヶ原の戦いで西軍についた但馬竹田城主・赤松広通を祀っている。赤松広通は西軍が主戦場で負けたことを知り、亀井茲矩に誘われて西軍についていた鳥取城を攻撃した。しかしその際に城下を焼き払ったことが問題となり切腹させられた。その後、広通の怨霊が鳥取城下の人々を悩ませたため、葬られた場所に立てたのが赤松八幡宮である。現在は社殿が崩壊し、祠が残るのみである。
 しかし城下を焼き払うことなんて、戦国時代だと珍しい戦法でもないし、問題になった理由が分からない。家康としては、決着後に街に被害を出して世間の評判を落としたくなかったのだろうか?
 あと他のサイトにも書いてあったが、鳥取城攻めは亀井茲矩が主導で行なった戦いなので、広通が勝手にやったとも思えず、茲矩がやらせた後、問題になったので広通になすりつけた気がする。
 それを薄々感じていた鳥取城下の人達がいろんな現象を無念の切腹をさせられた広通と結びつけて怨霊と思いこんだのではないだろうか。
(右側の崩壊した鳥居が気になったが、八幡宮はこの奥なので関係はないと思う)

6.景福寺・・・鳥取市新品治町にある。大坂夏の陣で戦死した後藤又兵衛の妻が遺髪を持って息子を伴い、岡山にあった実家の三浦家に身を寄せた。岡山城主・池田家が鳥取に移封されたため、家臣となっていた又兵衛の息子・為勝も一緒に移動した。その後、又兵衛の孫・正敏が父と祖父の菩提を弔うため、ここ景福寺に墓を建てた。
 今回来るのは三度目。孫の代くらいにならないと又兵衛の墓は建てられなかったんだろうなあ。
(中央が又兵衛)

7.倉田八幡宮・・・鳥取県鳥取市馬場にある。京都の石清水八幡宮を勧請(神さんを移してきて祀ること)して建てられた。1千石以上の社領もあったが、鳥取城攻めの際に豊臣秀吉によって、社殿を焼かれ、社領も没収された。その後、鳥取城主となった池田家から厚い保護を受け復興。800メートルも続く参道も整備された。現在は規模を縮小しているが、往事の面影を残している。
 ここは行くまで秀吉のことは知らなかったが、鳥取市内で有名な神社と言うことで行ってみた。話は変わるがこうやって県内の神社を廻ると地元の名和神社が立派だということを改めて思い知らされる。名のある神社でも名和神社より立派ところはそうないので。さすが戦前、建武の忠臣に対しては扱いが別格。ただそのせいで現在は維持管理が大変そうだが・・・。

(社殿の横にある大イチョウ。比較対象物として友達に立ってもらった)

 これにて鳥取市はお終い。実家に帰った。
感想:「いつでも行けるところはいつまでも行かない」の法則通り、地元にいた頃、鳥取市は有名なところをまったく廻ってなかった。まだまだ調べれば意外な史跡が出てきそう。「地元だから知っている」なんて思い上がりはやめて、知らない県だと思って今後は調べることにしよう。

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