島津家久くんと鳥取・島根を旅しよう!その4(家久君上京日記・島根県東部編)

(22日前半のルート。実際の道は考慮せず通過した場所を直線で結んでいます)

(22日後半のルート。実際の道は考慮せず通過した場所を直線で結んでいます)

6月22日:「廿二日、明かたに船いたし行に、出雲乃内馬かたといへる村にて関とられ行に、枕木山とて弁慶の住し所有、其下に大こん嶋とて有、猶行てしらかたといへる町に舟着、小三郎といへるものゝ所ニ立よりめしたへ、亦舟押行に、右に檜之瀬とて城有、其より水海の末に蓮一町はかり咲亂たる中を、さなから御法の舟にやとおほえ漕通、平田といへる町に着、九郎左衛門といへるものゝ所に宿、拾郎三郎よりうり亦玄蕃より酒あつかり候」

 「明かたに船いたし行に」、前日に米子で宿泊しているため米子港に間違いない。そして鳥取県を跡にして中海を航行し島根県に入った。「出雲乃内馬かたといへる村」(島根県松江市馬潟町。中海から宍道湖に入るための水上の要衝)で通行税を取られた。そこから先に進む際に北にある「枕木山」(島根県松江市枕木町)や「大こん嶋」(島根県松江市八束町)を見ながら「しらかたといへる町」(島根県松江市白潟本町)に船が着いたので昼食を取っている。
 船は更に進んで宍道湖に入り、「檜之瀬とて城」(島根県出雲市多久谷町にあった檜ヶ山城)を見たり蓮が咲き乱れる中を「法船(仏法を、衆生の沈溺を救う船にたとえていう語)のようだ」と感じながら通り過ぎて、「平田といへる町」(島根県出雲市平田町)に到着。宿に泊まって瓜や酒を受け取っている。

(米子港)

(中海)

(枕木山の山頂に建つ華蔵寺。弁慶が修行したという伝説があり、家久の言う「枕木山とて弁慶の住し所有」とはそのことだろう)

(中海に浮かぶ大根島全景。名前の由来は「たこ島」が訛ったものと言われる。大根の名産地では無く、形が似ている訳でも無い)

(23日(出雲西部)のルート。実際の道は考慮せず通過した場所を直線で結んでいます)

6月23日:「廿三日、打立行て、きつきの大社に參、それより行々て大渡といへるわたり賃とられ、さて行て崎日といへる町の清左衛門といへるものゝ所ニ一宿、下總酒もてあそひ候」

 「きつきの大社」(杵築の大社。島根県出雲市大社町杵築東にある出雲大社のこと)を参詣、その後に「大渡といへるわたり賃とられ」ている。当時の出雲大社の近くに斐伊川の河口があり、島根県出雲市大社町杵築西にあった大湊から島根県出雲市外園町の園湊に渡ることを「大渡」と呼んだ。
 それから「崎日といへる町」(島根県出雲市多伎町口田儀)に宿泊している。

(出雲大社)

参考文献:家久君上京日記(五味克夫編)、東京大学資料編纂所所蔵「中務大輔家久公御上京日記」、島根県の地名、中世水運と松江~城下町形成の前史を探る~、松江観光協会八束町支部のサイト、徒然草独歩の写日記

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