島津家久くんと鳥取・島根を旅しよう!その1(家久君上京日記・序章)

 「家久君上京日記(中務大輔家久公御上京日記)」は薩摩の戦国大名だった島津義久の弟・家久が伊勢神宮を参詣するため1575年2月に薩摩を出発し7月に帰国した旅の日記である。その中でも私の地元である鳥取県(因幡・伯耆)と島根県(出雲・石見)の行程を辿ってみる。
 すでに徒然草独歩さんが「徒然草独歩の写日記」というブログで詳しく紹介されているが、自分なりに考察してみた。お付き合い下さい。

・島津家久という人物
 生没年:1547~1587年。島津貴久の四男。兄・義久のため各地を転戦、龍造寺隆信との沖田畷の戦いや長宗我部元親など四国連合軍との戸次川の戦いでの勝利は良く知られる。九州攻め後の1587年6月5日に急死した。官途は中務大輔。上洛した時の年齢は数えで29歳だった。

・1575年当時の鳥取県と島根県
 安芸の毛利輝元が大半を支配していた。翌年には輝元と織田信長との全面戦争が始まるが、この頃は因幡で山中鹿介らが尼子再興のため戦っていた程度で他は平穏だった。

(鳥取県と島根県の位置)

(今回の旅のイメージキャラクター・家久くん。高橋コヤマさんからの頂き物です)

参考文献:家久君上京日記(五味克夫編)、東京大学資料編纂所所蔵「中務大輔家久公御上京日記」、戦国時代人物事典、山中鹿介のすべて、鳥取県の歴史散歩、島根県の歴史散歩、徒然草独歩の写日記


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