鳥取城(山名氏・池田氏の居城)

●鳥取城
住所:鳥取県鳥取市東町2丁目

 戦国時代中期、山名氏が天神山城の支城として久松山に築城。1573年、鳥取城主・武田高信を追い出した山名豊国は本拠地とするため天神山城から移っている。
 それ以降、山名家は毛利・尼子残党(織田)を渡り歩いていたが、1580年に織田軍が攻めてくると降伏。その後、豊国が家臣によってを城を追われたため、豊臣秀吉によって兵糧攻めにあったことは有名だ。
 戦後、宮部継潤が城に入るが、息子・長房が関ヶ原で西軍につき改易される。その後は池田長吉が入り、1617年からは長吉とは別系統の池田氏が入り因幡・伯耆32万石の大名として明治維新まで城主を務めた。その間、城は何度か焼失と再建を繰り返している。1879年、軍の方針で建物は解体された。

(2014年の全国山城サミット鳥取大会で建てられた「とりのじょう」の砂像)

(城門)

(濠)

(石垣)

(三階櫓)

(鳥取城の石垣の石を採った石切場)

(天球丸跡)

(天球丸の巻石垣)

(本丸跡)

(秀吉の兵糧攻めに敗れた吉川経家の像)

(鳥取城(久松山)全景)

(鳥取城から市街地を望む)

(鳥取三十二万石お城まつりで復元された二の丸の櫓)

感想:ここは40分間の登山の末にたどり着きました。傾斜が急できつかった、、、。山城で一番辛かった。こりゃあ力攻めは難しいだろう。
 近くにやまびこ館という資料館があり、CG鳥取城やその中を探索できるなどという催し物があってなかなか面白かったです。
 最後に友達との会話を載せておきます。
 俺「う~ん、思ったより写すものがないなあ。どうしようか?」
 友達「いいじゃん、何も載せなくても」
 俺「何で?」
 友達「鳥取の名産は二十世紀梨。だから何も『なし』ってことで」
 おあとがよろしいようで。

 歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』を参考にしてください。




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