安養寺(瓊子内親王の墓)

●安養寺
住所:鳥取県米子市福市724

 1332年、後醍醐天皇が隠岐に流される際に皇女・璋子内親王も正体を隠して従ったが、伯耆の米子で正体がばれてしまい同行を許されなかった。そこで隠岐に近い安養寺に入り出家する。鎌倉幕府が滅亡し建武の新政が始まった後も璋子内親王は安養寺に留まり1339年に当地で亡くなっている。
 江戸時代中期まで尼寺だった。

(山門)

(稲荷社)

(鐘楼)

(本堂)

(瓊子内親王の墓)

(歯形栗。瓊子内親王が栗を咬んで捨てたところ、そこから芽が生えて栗の木に成長した。大きさを見たら分かると思うが当時のものは枯れてしまったため、現在あるのは近年に植え替えられたもの)

感想:このお寺の読み方は『あんにょうじ』です。
 歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』を参考にしてください。




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