住所:東京都足立区千住仲町4-1
浄土宗。慶長15(1610)年、石出吉胤が菩提寺として創建した。
(石出吉胤の墓(中央)。千葉氏の一族で足立区に移って開拓や荒川に築堤を行なっている)
(中村一忠の旧臣・矢野和泉守正倫の墓。大坂の陣で主家再興のため戦うが戦死する。正倫の次男が千葉県佐倉の牧野という地に知り合いを頼って落ち延び姓も牧野に変え、やがて後裔が石出氏を頼って当地に住んだ。碑文によると後裔の牧野右泉なる人物が天明4(1784)年に再建したとある)
参考文献:現地の案内板、新修足立区史 上巻、渋柿 (553)
感想:正倫の墓の横に建つ「史跡 矢野和泉守正倫墓」は、昭和38(1963)年に子孫で皆から忘れられていた墓を見つけた牧野寥々ら牧野家一門によるものです。
矢野和泉守正倫のニ男が、千葉佐倉の牧野という地に落ちのび
姓を牧野と改め、その子孫が千住の石出氏を頼って、千住に来住
し、代々住したようです。
「東京歴史散歩 第11巻」
情報、ありがとうございました。そのような経緯があったのですね。
「東京歴史散歩」は他にも面白そうな記述がありそうですので読んでみます。
昨日確認してきました。
「史跡矢野和泉守正倫墓」という石碑の裏面に「大阪冬之役陣歿西軍部将当家祖也(略)牧野家一同」とありました。
左隣の台石に載せられた3基の墓碑の真ん中が矢野正倫のようです。
台石には「牧野氏」とはっきり書かれています。
ただこの牧野家については良くわかりませんでした。
ありがとうございます。写真を整理したら、石碑の裏面は撮影していました…。
矢野家から牧野家に繋がるところが気になりますね。
お久しぶりです。
矢野和泉守のお墓の続報があります。
青山霊園にて、矢野家の子孫の墓所がありました。
墓石は一般的な黒御影石の「矢野家之墓」でしたが、墓誌の冒頭に「歓喜院殿前泉州守満譽光樂受信大居士 慶長十九甲寅十一月二十六日」とありました。矢野和泉守本人です。
御丁寧にありがとうございます。
青山霊園に矢野家墓所があるのですか。
どの資料を読まれて青山霊園にあるのを知ったのか教えていただけると大変助かりますm(_ _)m
東京に行った際、矢野和泉守の墓に参拝しますね。
お返事に3年越しで気付きました。
残念ながら資料などは使用していません。主にローラーをして調査しているので偶然見つけたものになります。
御返信ありがとうございました。
そうでしたか。了解致しました。
筑後川様
返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
出典は、足立区の郷土資料のどれかだったと思います。自宅で確認してみるつもりです。確か墓所内にも牧野家の墓石があったと思います。こちらも再確認してみますね。
いえいえ。
急いでいる訳ではありませんので、もし分かれば教えていただけますか?
よろしくお願いしますm(_ _)m
筑後川様
初めまして。自分は足立区が地元です。
矢野和泉守の墓についてですが、矢野和泉守と血が繋がるという牧野氏が供養のために建立したものだそうです。
初めまして。コメントありがとうございます。
牧野氏ですか…。三河武士の牧野家でしょうか。
良ければ出典などを教えていただけると助かります。
お手数ですが、よろしくお願い致します。