2015年四国史跡巡り(5日目その4:南新居城・矢野備後守の墓・安芸飛騨守の墓)

28.南新居城(八幡神社)・・・徳島県徳島市不動本町1丁目292。南新居城は中富川の戦いで戦死した堀江国正の城で八幡神社の辺りだと推測されている。

(八幡神社の鳥居)

(拝殿)

感想:次の目的地に行く途中にあったので寄ってみました。


29.矢野備後守の墓・・・徳島県板野郡藍住町東中富。阿波八上(勝興寺)城主で十河存保の家臣だった矢野虎村の息子・矢野備後守(備前守)の墓。父の虎村と共に中富川の戦いで戦死している。

感想:ここに墓がある理由は分かりませんでした。


30.安芸飛騨守の墓・・・徳島県板野郡板野町犬伏蔵佐谷。土佐安芸城主だった安芸国虎の息子・飛騨守の墓。国虎が長宗我部元親に滅ぼされると阿波に逃れ三好家に仕えるが宿敵・長宗我部氏と中富川で戦い戦死している(異説有り)。

感想:当たり前ですが、行かれた際は水田の中に入ってまで撮影をしないで下さい。


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2015年四国史跡巡り(5日目その4:南新居城・矢野備後守の墓・安芸飛騨守の墓)」への2件のフィードバック

  1. 安芸飛騨守は中富川の戦で生き延びている(二説あり)帰農して荒れ地を開墾し、蜂須賀家正より仕官のお誘いがあったが、二度の戦で父を亡くしているので、自然を友とし農にいそしむ生活を望んでいるといって断わっている。板野安芸本家に書状あり。

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