住所:徳島県徳島市東山手町3丁目18
臨済宗。当初、勝瑞城下にあったが蜂須賀家が阿波に移封されると現在地に移転された。蜂須賀至鎮が弟・義英を菩提を弔うため一顎を住職として中興する。一顎は武田信玄の菩提寺・恵林寺の住職だった快川の弟子で、恵林寺が織田信長の軍勢に焼かれる際に快川の命で本尊を持って逃れた。
現在、当寺に祀られている観音像はその時持ち出された本尊だと伝わる。また池泉庭園が良く知られている。
感想:岩田政長の息子さんのお墓があります。政長の墓もあったかもしれませんが、確認していません。
名水・鳳翔水を汲むため参拝の最中も地元の方が頻繁に訪れていました。