阿波轟城(近藤氏の居城)

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住所:徳島県名西郡石井町浦庄下浦

 築城の時期は不明だが、三好氏の家臣・近藤正次が居城としていた。1581年、阿波を侵略していた長宗我部元親は諸将を阿波一宮城に集め、三好氏の本拠地・勝瑞城を叩こうとした。その前哨戦として当城を攻撃したが十河存保率いる援軍のため撃退されている。翌年の中富川の戦いで存保が阿波から撤退すると長宗我部の大軍に攻められ落城している。
 城は東西と南に水堀が巡らされ、北には飯尾川が流れている堅城であったという。

(本丸跡に建つ祠と碑)

(近くに建つもう一つの碑と供養塔?)

(城趾に地蔵が建っていたが城との関係は不明)

(全景)

感想:徳島線の下浦駅から北に50メートルも行かないところにあったのに飯尾川沿いをずっと探し回っていました。近所の方に聞いてやっと場所が分かりました。




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1 thought on “阿波轟城(近藤氏の居城)

  1. はじめまして、須藤淳と申します。近藤氏や轟城この記事を読んで驚きました。私の母方の先祖は近藤氏だと聞かされていました。なんでも先祖は長曽我部軍に攻め込まれて、飯尾川伝いに、勝瑞城まで逃げたと聞いています。先祖は三好氏?の家来で、ふところかたな だったとも聞きました。母の旧姓は坂尾といいます。
    しかし、数十年前に、石井町下浦の先祖の墓を寄せ墓をするにあたり、坂尾家の墓に二代前近藤と彫られていました。名前を変えなければ殺される危険があったのでしょう。
    また、童学寺の総代もさせていただいてたそうです。曽祖父の代までは、藍の栽培や藍の商いをして繁栄していたそうです。
    今では、屋敷跡も私にはわかりません。
    ただ、石井町下浦の坂尾家の誰かが轟城跡の轟神社をお祀りしてると聞きました。

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