童学寺(刀痕の柱)

住所:徳島県名西郡石井町石井字城ノ内605

 真言宗善通寺派。四国別格二十霊場二番札所。四国三十六不動尊霊場十一番札所。天武天皇の勅願で創建された。幼少期の空海が当寺で学んだことから童学寺と号したと伝わる。
 長宗我部元親の軍勢と阿波轟城主・近藤正次との戦いでは近藤軍が当寺の境内に籠もったため長宗我部軍との激しい戦闘が繰り広げられている。

(山門?)

(参道に建つ地蔵)

(本堂。本尊は国の重要文化財に指定されている木像の薬師如来)

(寛永年間(1624~1644年)頃に奉納された切支丹灯籠)

(大師堂)

(大師堂の右の柱に天正年間(1573~1592年)の戦乱の際の刀痕が見える)

感想:天正の兵火(≒長宗我部が焼いた)で全焼したということになっているらしいですが、刀痕の柱が残っているということは焼けたとしても一部だけなのでは・・・。


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