住所:滋賀県高島市朽木野尻478
近江守護だった佐々木定綱の四男・信綱が、鎌倉幕府から朽木領を与えられ城館を構えたのが始まりといわれる。朽木の地は京都と若狭や越前を結ぶ交通の要衝のため、たびたび歴史の表舞台に立った。室町幕府11代将軍・義澄、12代将軍・義晴、そして13代将軍・義輝が難を逃れて朽木に落ち延びている。
織田信長が朝倉攻めの際、朝倉・浅井連合軍に挟まれた時も朽木氏が信長を助け道案内をしたことは良く知られている。江戸時代以降も朽木氏がこの地を治め明治維新を迎えた。現在、堀の一部などの遺構があり、朽木資料館が建っている。