湖東地区史跡巡り2009(前半:尼子氏屋敷跡・在士高虎公園・佐々木道誉の墓・鯰江城)

 平成21年10月31日(土)、10日しか経っていないのに再び滋賀県に行った。朝の8時には甲良町に到着。今日も廻るぞ~\(^-^)/

1.尼子氏屋敷跡・・・甲良町尼子にある。佐々木道誉の孫・高久が屋敷を構え尼子姓を名乗る。そののち、尼子氏は近江と出雲に別れ、出雲に移った尼子氏は戦国時代に中国地方で一大勢力を築いたことで知られる。現在は公園として整備され土塁などが残っている。
 とにかく分かりづらいところにあったTT 近所の人に聞いてやっと辿り着けたよ。
 あと、どこをどう撮ったらいいのか分からん場所だった・・・。

(堀跡・・・だと思う)

2.八幡神社・・・甲良町在士にある。藤堂高虎出生の地。
 尼子氏屋敷跡から歩いて10分くらい。昔ながらの道で狭いため、注意が必要。

(藤堂高虎公出生地の碑。碑文の分かりづらい写真ですいません)

(鳥居と本殿)

3.在士高虎公園・・・甲良町在士にある。八幡神社のそば。名前の通り、高虎誕生地にある公園。
 中央に池があるなど複雑な場所なのに朝からゲートボール大会が開かれていた。

(藤堂高虎の像。津城と同じポーズ。毎回、思うけど何を指さしているんだろうか?)

(高虎の滝。どこが滝なのか?と思う方もいるかもしれないが高虎の滝なのである。地元の人に聞いて案内の石板もしっかり確認した。ここにお金を入れると出世できる・・・という話はない)

4.勝楽寺・・・甲良町正楽寺4にある。南北朝時代に活躍した婆娑羅(ばさら)大名・佐々木道誉の墓がある。織田信長によって焼かれたが江戸時代に再建された。
 山奥にある静かな場所でした。

(佐々木道誉の墓)

(寺へと続く「ばさらどおり」。特に何かあるわけではない)

(寺に行く途中、高速道路の下辺りにあった「道誉の郷」の碑)

5.目加田城・・・愛荘町目加田にある。六角氏の重臣・目加田氏の居城。土塁が残っている。
 工事のおじさんに物珍しそうな顔で見られた。土塁は整備されているというか、されすぎているというか・・・。ここを整備したせいで存在した堀が無くなったそうな。う~ん・・・ーー;

(土塁)

6.鯰江城・・・東近江市鯰江町にある。南近江の雄・六角義賢は居城の観音寺城を逃亡後、ここを抵抗の拠点として信長を苦しめている。しかし1573年に落城させられた。
 ここは迷った>< 県道だか国道沿いにあるのに間違って住宅街に入り込んで狭い道を走ることになってしまいドキドキの連続だった。
 城跡に漂っていた牛小屋の香りが印象に残っている。

(碑)

7.六角定頼の像・・・東近江市五個荘川並町のきぬがさ山トンネル入り口にある。義賢の父。足利将軍を助け、六角氏の繁栄を築いた。
 この戦国ブームで定頼がメジャーになる・・・ことはないだろうなあ。駐めるところが無くてちょっと困った^^;

(像とトンネル)

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湖東地区史跡巡り2009(前半:尼子氏屋敷跡・在士高虎公園・佐々木道誉の墓・鯰江城)」への4件のフィードバック

  1. >朝生さん
    井戸は知らなかったので見てないですね~。知っていれば撮影したんですが・・・TT
    勝楽寺城も時間の関係でパスしましたTT 次回は是非・・・。

    山門は案内板に書いてあったのでばっちり写しましたよ^^

    私は城に詳しくないですが、観音寺城は全体的な雰囲気も含めてすべてがいいですね^^
    石垣は過渡期に出来た感じが漂っていたなあ、とは感じましたが。

    朝生さんのように詳しい方なら本当にたまらんでしょうね・・・^^

  2. >キヘイジさん
    見所満載でした。満載過ぎて写真載せすぎました^^;

    定頼の顔、光の加減ですかね? 良くも悪くも見えますね^^

  3. 勝楽寺で、井戸?は見られました??
    信長の焼き討ちにあった際、寺のご本尊を村の人達がその底に沈めて守った、といわれる井戸です。
    勝楽寺城に登ると、狐塚とか経塚とか他にも色々残ってますよ^ ^
    あと山門ですが、これだけは兵火を免れ無事残ったそうです。

    それから観音寺城の石垣、やっぱりイイですね!
    六角系の石垣ってほんと独特だよなぁと思いますけど、なんかこう、たまらんと云うか、好き過ぎてによによします…。

  4. 滋賀県すご・・・!
    いやー、見どころ満載ですね^^

    気になったのは定頼さんの銅像です。
    なんか、心なしか血色がよろしいようで・・・。

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