白華寺(江間時成の墓)

住所:静岡県浜松市中区上島7丁目14ー50

 黄檗宗。794年、坂上田村麻呂が東征の途中で磐田市に寄った際、赤蛇が航海の旅人に危害を加えていたのを知って薬師如来を勧請し堂を建立した。すると仏の力により赤蛇は大人しくなり航行の安全を約束して田村麻呂の子を産んだという。
 やがて真言宗・光福院が建立され興隆するが、その後廃寺となる。しかし薬師堂は残り、眼病に効くことで知られ篤い信仰を集めた。1896年、引佐郡細江町から当寺を移し黄檗宗に改め現在に至る。

(入り口)

(本堂)

(六地蔵)

(江間時成の墓。時成は今川家の陪臣だったが、桶狭間の戦い後に徳川家康に通じようとする。しかし武田信玄と通じようとした従兄弟の安芸守と対立し1568年に殺害されてしまう。時成は当寺で祈願して眼病が治ったという伝承があり、その縁で墓が建てられたのであろう。この墓は本堂の裏を登ったマンション駐車場の一角に建っていた)

感想:田村麻呂の子の産湯もあったそうなのですが気がつきませんでした。


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