静岡県東部史跡巡り2011(3日目その1:足利義詮の墓・伊豆山中城・一柳直末首塚)

 2011年10月4日(火)、三島市のホテルを出る。

28.宝鏡院・・・三島市川原ケ谷2。臨済宗。室町幕府二代将軍・足利義詮と堀越公方・足利政知の墓がある。
感想:地図に足利義詮の墓が載っていたので寄ってみようと思ったのが苦労の始まりだった。カーナビ・マップルともに義詮の墓が三島市川原ケ谷216の宝光寺裏の丘に記載してあったので、そこに行ってみたが石塔や神社はあるものの肝心の墓が無い・・・。
 散々探した挙げ句、近所の方から宝鏡院にあると聞いたので行ったところ、やっとお参りすることができた。グーグルマップでも宝光寺裏の丘にあると出ている。移転した訳でもないらしいし、この義詮の墓は何なんだろうか?

(本堂)

(足利義詮の墓。後ろの五輪塔に足利政知があるらしいのだが分からなかった)


29.伊豆山中城・・・三島市山中新田。北条氏によって永禄年間に築城された。その後、北条氏の西の拠点として機能。1589年に豊臣秀吉との戦が避けられなくなると大規模な工事を行なっている。翌年の小田原征伐では4千の兵で守備したが7万もの大軍に攻められ僅か1日で落城してしまう。現在は整備され、山中城の象徴である障子堀などが復元されている。

(三の丸堀)

(西の丸の土塁)

(西の丸畝堀)

(帯曲輪にある城址碑)

(山中城から見た風景。右から富士山・三島市街・駿河湾)

(本丸堀)

(天守櫓跡)

(豊臣秀次の家臣・一柳直末の墓。伊豆山中城を攻めて戦死した)

(伊豆山中城主・松田康長の墓)

(すり鉢曲輪)


30.一柳直末公首塚・・・駿東郡長泉町下窪。伊豆山中城で直末が戦死した際、敵方に奪われるのを恐れた旗持・留兵衛が当地に埋めたと伝わっている。留兵衛はこの地に永住し首を守ったという。
感想:目立たなくて探し回る必要があるかと思ったが、案内の看板がありすぐに辿り着けた。

(首塚遠望)

(首塚。石灯籠は子孫の伊予小松藩主・一柳頼親が1807年に奉納したもの)


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