3.可睡斎・・・袋井市久能2915-1。1401年、如仲天誾に開山された曹洞宗の名刹。11代目の住職・仙麟等膳は幼い頃の徳川家康を救い、家康が浜松城主となった際に城に招かれた。その席で居眠りをした等膳を見た家康が「睡(ねむ)る可し」と言ったことから、可睡和尚と呼ばれ寺号も可睡斎に改められている。
秋葉大権現を祀っており、火防の寺として知られる。
感想:この辺りでは有名なお寺なのだが、まったく知らずに来たため、大伽藍にとにかく驚いた。今回、一番長く滞在したお寺だった。
(門前町の一角に建つ東陽軒。東陽軒は可睡斎の前の寺号で、建物は境内の観音堂を移築したもの。ガラスにはしっかりと葵の紋が入っていた)
(輪蔵(経堂)。輪蔵とは経蔵中に設けて、経典を収納するための回転式の書棚のこと。一回転させると功徳を得られるとされている)
(大黒殿の前にあるかんかん石。叩いて鳴らしてから祈ると願いが叶うといわれる。俺はよく説明を読んでなくて鳴らしながら願い事をしていた・・・)
(大黒殿に祀られている開運出世大黒尊天。どことなく家康と雰囲気が似ているような・・・)
(直勝の墓に行くための階段。床面が20度くらい下に向いていて降りる時めっちゃ恐かった)
(出世六の字穴。武田信玄に追われた家康は当斎の洞穴逃れた。その後、家康は江戸幕府を開くまで出世したため、出世六の字穴と呼ばれるようになった)
ここからお金を払って内部を見学。入ってすぐにトイレに行ったら烏枢沙摩(うすさま)明王がお出迎え。
(東司。東司とは厠を守る神の名。また禅宗の寺院で便所のこと。しかしこんなにありがたそうなトイレには初めて入った。撮影はもちろん誰もいない時にした)
(トイレの中央に鎮座する烏枢沙摩明王。釈迦が「全国の神様集まれ~」って集合をかけた時に、釈迦に反抗して周囲を汚物で埋め尽くし近寄れないようにした神がいた。そこで烏枢沙摩明王が神の籠もる場所に行き、汚物を吸い尽くして降参させたという(うろ覚え)。その伝承から邪心も含めた汚れたものを浄化してくれる明王として信仰されている)
すっきりすると内部をじっくりと見て廻る。
この後、奥で昼のお勤め?(場所も、何をされるのかも忘れた)の準備をされている若いお坊さんにお寺の由来などを教えていただいた。儀式にも参加できますよ、と誘われたのだが時間がなかったため断った。
帰る途中、お寺の方が慌ただしく奥に向かっておられた。遅刻したら大変だからな・・・。
最後にぼたんの展示会を見て次の目的地に向かった。
ここは立派なお寺でしたので、
観るべき所が多かったですね。
必然的に、滞在時間は長くなってしまいます。