平成21年1月4日(日)、天気がいいので出雲地方に行ってみた。いつも月山富田城に行くたびに雨が降るので、今回は降りませんように・・・。
1.月山富田城・・・島根県安来市広瀬町富田にある。尼子家の居城。山陰一の山城。説明は省く。
雪は残っていたものの天気は良い。こいつは写真の撮り甲斐があるってもんだ。
やった、本丸まで何事もなく来られた!本丸まで辿り着けたのは、6~7年ぶりじゃないか。
2.新宮党屋敷跡・・・安来市広瀬町富田にある。尼子家の軍事力を支えた新宮党の屋敷跡。主君の晴久とはそりが合わなかったため、滅ぼされた。
3.洞光寺・・・安来市広瀬町広瀬にある。尼子清定・経久親子の墓がある。
墓から望む月山富田城はいつ見ても素晴らしい。
4.川中島一騎討之処・・・安来市広瀬町広瀬にある。月山富田城包囲中に山中鹿之助と毛利軍の品川大膳が一騎打ちをした場所。
5.品川大膳の墓・・・安来市広瀬町広瀬にある。
家の裏にあるので歩いていくしかない。お墓が30cmくらいしかなかった記憶があるが、通常の大きさだった。
ここで月山富田城周辺はお終い。続いてずっと行きたかった一畑薬師に行く。
6.一畑薬師・・・出雲市小境町にある。目の病に効くお寺として知られている。戦国~江戸時代にかけて、出雲国は尼子・毛利・堀尾・京極・松平と支配者が目まぐるしく代わるが、どの大名にも変わらず大切にされた。
うろうろしていたら、雨が降ってきたので急いで車に戻った。その帰り、宍道湖を見ると
見事な虹が・・・。
これで史跡巡りは終了。夜に愛知県に出発。家に戻って、翌日から通常の生活に戻った。
>橘さん
戦国好きだと、(江戸時代の)松平より尼子ですが、松平の方が気になるんですね。
橘さんは戦国前期にあまりご興味がなさそうですね。
関連して、虹の話自体あまり聞きませんよね…。
認識がなかったのでしょうか。
戦国時代後期の京極は大好きな家の一つです。堀尾も関ヶ原ではまぁ…。松平も。
尼子だけ大きくは家を残していないので私的にはあまり気にならないのかもしれません。。
>橘さん
本当に虹はどういう意味で見られていたのか・・・。
尼子以外ってことは京極・堀尾・松平とかが気になるってことですか??
こんにちわ
ゆっくり読ませていただいておりました
虹の家紋ありませんよね。きになります。
出雲国は尼子以外は気になる存在なので一生に一度でいいから行ってみたい場所でありますm(__)m
>柳葉さん
山陰は本当にいいところですが、本当に遠いです(交通の便が悪いので)TT
虹、どんな風に受け取られていたのか気になります。
そうか・・・「雨の弓」でレインボウなんですね。確かに弓の形で武器として見えるので、日本でも上で書いたのとは逆に勝利を意味するように取られても不思議じゃあないですね。
>キヘイジさん
家紋には詳しくないですが、虹の家紋って聞いたことがないですね。
家紋や馬印になっていないということは不吉に思われていたのかも・・・。
月山富田城は周りも含めて戦国の雰囲気を残していますから、本当にオススメです(川の地形などは洪水などで変わってしまったようですが)。
水木しげるロードのある境港からなら近いので、是非とも行ってみてください! 境港や月山富田城からだと松江も近いので、宍道湖の夕日を見に行く名目で松江城も是非是非。
おお、快晴ですね。(^^)雪も残ってるんですね。
私も山陰地方は行ったことがないので、いつか行きたいです。
私もキヘイジさんの文章読んで、なるほど・・と思いましたが
確かに戦国でも虹が出た時、驚いてたのかもしれません。
父が聴いてきた話ですが「雨と弓でレインボウ!!」と言ってました。
(レインとボウ。)ちょっと経緯を忘れてしまいました。すみません。
ふと疑問に思ってしまいましたが、戦国時代では、虹ってどういうふうに受け止められていたんでしょうかね?
いや、虹をモチーフにした甲冑や馬印とかあったら面白いなあ、と。
それにしても、やっぱいいすね〜、月山富田城は。
鹿之助さんにはいつかお会いしたいと思ってますが、なかなか機会がありません。
こうなったら、水木しげるロードとセットで家族旅行でも企画するしか方法はなさそうです(笑)。