埼玉県史跡巡り2010(3日目中編:羽生城・伊奈忠次の墓・成田氏の墓・石田堤)

33.皿尾城・・・行田市皿尾。上杉謙信が忍城攻めに築いた城。欅(けやき)の木に罪人が全裸にされて蚊攻めの刑で処された。その欅の枝を折ると悪いことが起こるといわれている。
感想:蚊攻めの刑がいつ行われたのかは不明。近所のご老人に聞いたが、この話をご存じなかった。そもそも該当の欅がどれなのか分からなかった。

(皿尾城跡の碑)


34.丸墓山古墳・・・行田市大字埼玉。忍城攻めの際に石田三成が陣を構えたといわれる。

35.石田堤・・・行田市堤根。忍城水攻めの際に三成の指揮で築かれた堤。ほとんどの堤が失われたが、ここ堤根に250メートルの遺構がある。近くには堤の一部を復元した「石田堤史跡公園」もある。
感想:公園の間に走っている上越新幹線の高架下に立つと、センサーが反応して忍城水攻めについての説明が流れるようになっていた。知らなくて、かなりびびった・・・。

(石田堤)

(高架下)


36.勝願寺・・・鴻巣市本町8-2-31。関東十八檀林(室町末期におこった、僧徒の学問修養の道場)の一つ。徳川家康が鴻巣に鷹狩りに訪れた際、訪問している。信濃への帰路に当地で亡くなった小松姫と仙石秀久、真田信之の三男で小松姫の息子・信重とその妻の墓がある。また関東の治水・検地などで活躍した伊奈忠次・忠治の墓もある。

(仁王門)

(左から仙石秀久・信重の妻・真田信重・小松姫の墓)

(伊奈忠次・忠治らの伊奈家の墓。どれが二人のものかは分からなかった)


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