「大坂の陣慰霊祭(399回忌)」(前半:柏原市内の史跡巡りと慰霊祭)

 2013年6月1日(土)、大阪府柏原市の玉手山公園で行われた「大坂の陣慰霊祭」に参加してきた。
 これは豊臣・徳川両軍、そして民衆で亡くなった方を供養するのが目的で、去年も大阪市内で似たようなイベントがあったらしい。
 11時前に河内国分駅で知り合いと合流し食事を済ますと、慰霊祭の前にちょろっと史跡巡りをした。

史跡:後藤又兵衛基次奮戦之地の碑
住所:柏原市片山町
解説:道明寺の戦い後藤又兵衛がこの辺りで最期を迎え首を埋められたらしい。碑は1969年に建てられた。
感想:狭い路地にぽつんとあるとあるため非常に分かりづらい。すき家とジョイフルの間の道を北に行くとある。

(碑)


 それから小松山方面に移動。急勾配でちと辛い…。

史跡:小松山古戦場跡の碑
住所:大阪府柏原市玉手町25
解説:道明寺の戦いの緒戦で激戦となった小松山の戦いの碑。この辺りが激戦地だったらしい。碑は1978年に建てられた。
感想:久しぶりに来たが当然ながら何も変わっていなかった。

(碑)

史跡:小松山
住所:大阪府柏原市片山町1
解説:道明寺の戦いで後藤又兵衛が死守しようとした場所。今は住宅街となりこのような丘しか残っていないが、開発される前は南の玉手山周辺も含めて一帯が山だった。
感想:玉手山一号墳でもあるそうな。

(小松山)

史跡:奥田三郎右衛門忠次の墓
住所:大阪府柏原市片山町1
解説:小松山の上に建っている。忠次は道明寺の戦いで戦死した徳川軍の武将。家臣5人の供養碑も建てられている。同じ場所に徳川軍の山田十郎兵衛の墓もあったのだが、すっかり確認するのを忘れていた…。

(非常に分かりやすい案内があった)

(忠次の墓)

(家臣5人の供養碑)


 一通り見て廻ると、供養祭のある玉手山に移動する。かなりの坂道を登ると会場の玉手山公園の大坂夏の陣戦没者供養塔に着いたが、1時間ほど余裕があったため、久しぶりに玉手山公園を散策した。

史跡:後藤又兵衛基次之碑・ 吉村武右衛門之碑
住所:大阪府柏原市玉手町7
解説:後藤又兵衛と、戦死した又兵衛の首を隠した吉村武右衛門の碑。
感想:この辺りには人がたくさんいたので、もしかしたら供養祭に参加する人かもと一瞬思ったけど、よくよく格好を見たら柏原市のウォーキングイベントに参加している人達だった。その後、予想通り誰も供養祭には参加していなかった。

(後藤又兵衛基次之碑)

(吉村武右衛門之碑)

(後藤又兵衛しだれ桜。ご覧の通りの人だったのだが…残念)

 その後は資料館などを見て時間を潰す。

(資料館の前に建っていた三天堂)

(売店の近くにあった顔抜き看板の中に後藤又兵衛もあった)

 それから大坂夏の陣戦没者供養塔に戻った。そこそこ人が集まっていた。50~60人くらいはいたかな。時間の13時半になると主催者の挨拶が始まり、続いて供養塔を建てた安福寺の住職さんの読経が始まった。


(読経中。供養碑は1700年前後に当時の安福寺の住職さんが尾張徳川家二代藩主・徳川光友の援助を得て建てている)

(続いて焼香。私も加わった)

 供養祭は30分ほどで終了。最後に主催者(主催が多くて、どの団体の誰が挨拶をしていたのか覚えていない…)が締めの挨拶をして解散となった。
前半の感想:地元のイベントという雰囲気が強く県外者はほとんどいませんでしたが、まあこれはこれで良かったんじゃないでしょうか。
 天気は曇りで日差しが強くなく、かといって雨も降らなかったので気候にも恵まれました。
 今後は毎年、6月1日に慰霊祭を行うらしいです。来年は日曜だからいいですが、再来年は平日なので気になります…。

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「大坂の陣慰霊祭(399回忌)」(前半:柏原市内の史跡巡りと慰霊祭)」への2件のフィードバック

  1. 通りスガリの者です。
    貴公のブログを頼りに現地に参りました所、又兵衛奮闘の地の石碑 無くなってました。(´・ω・`)建て直すのかは不明です。
    何となく報告したかったので。

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