越後村上城(本庄繁長の居城)

住所:新潟県村上市本町臥牛山

 別名・舞鶴城。標高135メートルの臥牛山に築かれた城。築城年代は不明だが、戦国時代は本庄氏の居城で本庄城と呼ばれていた。本庄繁長は度々、上杉家に反旗を翻すが最終的に降伏し家臣となっている。
 繁長が上杉景勝の会津への移封に従って城を去ると村上氏が入り、村上城と称するようになった。1618年、村上氏が改易されると堀直竒が城主となって改築を行い城下町も整備している。その後、本多家・松平家・榊原家など100年間で何度も城主が変わったが、1720年に内藤家が入って明治維新まで城主を務めた。戊辰戦争の際、村上藩は城下が戦場になるのを避けるため、城に火を放ち建物は灰燼に帰している。

(城址碑と案内板)

(城の入り口だった一文字門跡)

(坂を登ると四ッ門跡と石垣に辿り着く)

(二の丸への入り口・御鐘門跡)

(黒門跡)

(本丸の石垣。東日本の城でこれだけの石垣がある城は珍しい。新潟県内だと一番良好に残っているとのこと)

(本丸への入り口・冠木門跡)

(本丸)

(本丸から村上市街を望む)

(天守跡。1667年の落雷で天守閣は焼失してしまい、その後再建されることはなかった)

感想:雨で足場が危険だったため本庄城の遺構には行きませんでした。
 出櫓台跡石垣修復工事中でしたが、本丸まで行くことは出来ます。


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