高遠城

住所:長野県伊那市高遠町東高遠

 高遠城はその周辺を支配していた諏訪氏の城だったが、諏訪氏が武田信玄によって滅ぼされると、武田氏の城となり、1547年に拡張工事がなされ本格的な城となった。
 1581年、織田軍の本格的な侵攻を警戒した武田勝頼は弟・仁科盛信を高遠城主とし備えさせた。その予想通り1582年、織田軍は信長の嫡男・信忠を総大将として5万もの大軍で信州に攻め込んできた。武田軍の兵たちは織田軍の武威を恐れて抵抗らしい抵抗もせず次々と逃亡・降伏していったが、仁科盛信だけはわずか3000の兵で迎え撃ち、激戦の末、壮絶な討死を遂げた。
 江戸時代に入ると保科氏、鳥居氏、内藤氏が城主となり、明治維新を迎えた。現在は桜の名所として知られています。

(問屋門)

(本丸内にある新城神社)

(太鼓櫓)

感想:仁科盛信が葬られた五郎山にも行きたかったのですが険しいので諦めました。高遠町は山の中でとても静かでいいところでした。

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