志摩国府城(三浦氏の居城)

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住所:三重県志摩市阿児町国府

 築城年代は不明。1516年、北条早雲に滅ぼされた伊豆新井城主・三浦義同は末子・新介(新助)を逃がすため、うつろ船(大木をくりぬいてつくった舟)に乗せて海に流した。やがて船は当地に流れ着き新介は志摩国分寺の住職に助けられ、伊勢の国司・北畠氏から国府の城主に命じられる。
 新介は当地に城を築いて北畠氏の家臣及び志摩十三地頭の一人となった。しかし九鬼嘉隆に城を落とされ飛騨に逃れている。城は関ヶ原の戦いで嘉隆と息子の守隆が戦った際、守隆が本拠地として利用している。
 主郭部の丘が遺構として残っている。

(三浦稲荷大明神。新介が当地に来た際に勧請したが、新介が追われた後は家臣の井村氏が守ってきたと伝わる)

(城内に五輪塔や宝篋印塔の頭の部分があったが、三浦家に関係したものか地元の方のものかは不明)

(主郭部。土塁らしきものがあったが写真では分からない…)

(全景)

感想:当地の案内板や日本城郭事典には新介が流されたのは鎌倉時代後期と記載してありましたが、時代が合わないため推測で概要を書きました。




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